希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

僕は若い頃よりも今のダメ中年オッサンの自分が好きである件〈再掲〉

僕は若い頃には戻りたくない。

また、若いときの自分が好きではない。競争社会に何の疑いを持つことなく、新自由主義的な考え方に疑問を持たずに生きていたあの頃の僕はゆとりもなく面白味もない人間だった。

ダメ人間であると自覚して生きている今の自分がちょっとだけ好きである。

 

初出 2015/10/2

 

近頃はイヤでも自分の老いを自覚するようになった。

ハゲてはいないが髪の毛が細くなりハリがなくなってきている。

老眼になってはいないが、ちょっと細かい字が見えにくくなっている。

疲れが取れにくくなってきた。

女性に対しての関心が薄くなってきた。

おしっこのキレが悪くなってきた。

などなど数え上げればキリがない。

当たり前の話だけれども、確実に老いが僕の身に忍び寄っているのだ。

 

しかしながら、この中年のダメ人間、しがないオッサンになった自分が嫌いではない。

生きづらさがかなり軽減されているからだ。

ちょっとだけだけれども「余裕」らしきものが出てきたからである。

 

若い頃の僕の方が見栄えは今よりはちょっとましだったし、バリバリに働いていて収入もそれなりにあったし、人並みに女性にモテていた。それでも若い頃に戻りたいとは露ほどにも思わない。

若い頃は世間の常識に縛られ、こうあるべきだとのこだわりによって生き方の幅が狭くなっていた。他者からの評価を異常に気にしていて、何か目に見えぬ化け物に追い立てられているような感覚があった。マジョリティの中に身を置いていない不安だった。

何よりも他者に対して不寛容だった。

例えばガールフレンドに対する僕の態度を思い返しても余裕がなかったな、と痛感する。

相手のちょっとしただらしなさや価値観の相違を受け容れることができなかった。

今の僕ならばたいていの女性とはうまく付き合っていけるという自信がある。けれどもこんな中年のダメ人間に付き合ってくれる奇特な女性がいない、という現実にぶつかる。うーん、なかなか世の中うまくはいかないものなんだな。まあ、仕方がない、諦めも肝心、ひとりでも楽しいからいいんだ(殆ど強がり)。

 

僕は人生経験を積んだから今の心境に至った、とは一概には言えない。一種の「諦念」に至ったからという点が大きいように思う。

人生はなるようにしかならない。

どう足掻いても、どれほど努力を積み重ねても、自分の思うような成果を得られることは滅多にないのだ。これが人生である。

 

僕は老いを怖がることも抗うこともせずに淡々と日々を過ごしていこうと思っている。

そして益々自分のダメさ加減を愛そうと思っている。

ダメ人間でも役立たずでも、生きているだけでもうけもの、という心境に至るために。