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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

高すぎる国民健康保険はどうにかならないかという件

国民健康保険料がバカ高いと感じている人は多いと思う。国保料を滞納していて支払に四苦八苦している人も多いだろう。

僕は以前に住民税や国保料の滞納への対処法についてのエントリーを書いて結構な反響があった。それほど多くの人たちが国保料の高額賦課に悩んでいるのだ。

 

国保料が高いのは構造的な問題を抱えているからである。国保加入世帯は自営業と無職の人たち(年金生活者を含む)で大半を占める。勤め人で収入がある人たちは非正規雇用である。比較的に低所得者の占める割合が大きい。

 

高齢者や無職・失業中の人が多いということは医療費が嵩むことになる。

この医療費が嵩むことの要因を個人の責任に帰すことは酷である。人間歳を取れば身体にガタがくるのは自然の成り行きである。また、昨今の労働環境の悪化は心身に悪影響を及ぼしている。

誰もが病気になる可能性があるのである。

政府や自治体は国保料が高額なのは医療費が嵩むからだ、言い方を変えれば病気になって医療機関にかかる人が多いからだ、という言い方をする。

一面では真実であるが、どうもこの物言いは個人に責任を転嫁しているように思えてならない。

 

しかし、個人に責任がないかといえばそうとは言い切れない。ちょっとした病気で医者にかかり、注射や薬を処方されなければ安心しない人が多い。薬のコレクターかと見まがうばかりの人もいたりする。

 

医者も医者で過剰な診療をして(必要のない検査や投薬等)診療報酬を少しでも多く取ろうとする。国は診療報酬の単価を引き下げ、それに対応して医者は数をこなすようになる、というイタチごっこになっている。

 

製薬会社は薬を多く売りさばいて儲けようとしている。医者もそれに加担する。

医者と製薬会社が結託して、時には病気を作り出したり、「健康」の基準を厳しくして「病人」を多く生み出そうとする。メタボリック・シンドロームや新型うつなどはその最たるものである。生活習慣病の判断基準を厳しめにするのもまた然りである。

 

つまり、僕たちの不安や薬依存に乗っかって医者や製薬会社が暴利を貪る構図が成り立っている。それに加えて青天井の出来高払いの診療報酬体系が後押ししている。

この状況では小手先の手立てでは医療費の膨張は抑えられない。

 

僕たちができる医療費抑制のための手立てはある。過剰な診療を拒否することだ。薬の説明を受けて、不要と判断した薬はいらないとはっきり言う。検査や注射も同様にしっかりと説明を受けて、いらないものはいらないと表明する態度を取ることだ。これを嫌がる医者ならば転院すればよい。

 

一方、国保料については僕たちには決める権限が無い。

ひとつの手段としては「無理して払わない」ことだ。全く払わないというのはダメである。自分の払える額を設定して、役所の窓口で交渉して自分の要望を通す。その約束は必ず守る。そうすれば不利益な取り扱い(保険証の取り上げや短期の有効期間にする等)はまず受けない。

よく、保険料の滞納者に対して、きちんと払っている者がバカを見る、迷惑がかかるという物言いをする人がいるが、これは間違っている。国保料の滞納者のほとんどは払いたくても払えないのである。無理して全額を払っている人たちは頭を働かせて、生活に支障に無いように工夫をすべきである。何事も「お上」頼りにし、「お上」の言うことを無条件に受け入れる態度こそを改めるべきである。弱者が弱者を叩く、生活保護バッシングのような愚行をしてはならない。それこそエスタブリッシュメントの思う壺となる。

 

国民健康保険料が高いのは、特定の誰が悪いというのではなく、僕たちや医者や製薬会社や自治体の思惑が交錯しての結果だということである。

ならば、僕たちは医療費抑制のためと国保料の支払において、個人でできることをしっかりと着実にやり続けるしかない。