希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「即戦力」なんかにならなくてもよい件〈再掲〉

「即戦力」となりうるスキルや知識を持つに越したことはない。

特に転職をする際には大きな武器になる。

ただし陳腐化しないようによくよく注意しなければならない。

 

初出 2015/9/15

 

昨今は新卒者の採用においても「即戦力」を求める傾向にある。この場合の即戦力は会社の教育・研修を最小限に止めて、短期間で現場の戦力にするという意である。

 

大学や高校でも会社側のこの利己的な要望に応えようとあれこれ対策を講じている。

グローバル人材の育成を謳ったり、職業訓練的な内容の授業・講義を増やしたり、訳の分からないキャリア・デザインなんてものもある。

一時L型大学なんて議論もあった。

元々学校制度は国家に従順な人を多く生み出すために整えられたものである。今は会社社会に従順な人を生み出す、言い換えれば従順な労働者を生み出すシステムとして学校制度がある。こう考えれば大学や高校が目先の利益を追求して、会社が求める即戦力を養成する機関に堕しているのも頷ける。

 

大きな力に抵抗しない牙を抜かれたような状態にされた人たちが即戦力人材といえるかもしれない。

そんなに競って即戦力になる必要があるのか、僕は疑問に感じている。

あまりにも会社の論理に絡め取られているし、会社のエゴに踊らされている。会社の教育研修費削減のツケを払わされているに過ぎない。

 

様々な仕事をして職歴を積み重ねた結果としての即戦力化なら話は分かる。社会経験が乏しく仕事歴が浅い人たちにまで即戦力を求めるのはやはりおかしなことだ。

 

即戦力の人材とは会社にとって使い勝手の良い都合の良い人たちに他ならない。

会社にとっての基幹的な人材には即戦力を求めていない。多くの会社では基幹的な人材には教育研修だけでなく、念入りなジョブローテーションを行い、長期的に育成している。

かつてのこの国の会社では「幹部候補」として新卒者を雇い入れ、上述のような長期的な視点で育成していた。それが余裕がなくなり一部の幹部だけが対象となり、その他の社員を即戦力という名目で「安く」「使い易い」社員を生み出そうとしているのである。その究極の存在がパートや派遣等の非正規雇用の社員である。

 

ただ即戦力的な人材になるメリットもある。会社に過度にコミットメントしたくない生き方や働き方を志向する人たちは即戦力的な存在になればよい。自分のスキルを頼りに幾つもの会社を渡り歩くという働き方もできる。社畜化しない生き方や働き方を模索できるだろう。ただし、よほど気をつけないと使い勝手の良い社畜となるおそれもある。こうなったら目も当てられない。

 

世のサラリーマンは自分が「即戦力」の人材だと悦に入っていてはダメだ。巷でよく言われているように即戦力の賞味期間は短い。さりとて会社人間や社畜と化して、会社に自分の人生をコントロールされるのもいかがなものかと思う。

陳腐な表現となってしまうが、結局は仕事の能力とそれにプラスαの「人間力」という曖昧なスキルがものをいうことになる。

この「人間力」はいい加減で曖昧なものであるがゆえに、自分なりに形作ることができる、と考えると意外と先が見えてくるのだと思えてならない。