希望の舎―再生編ー

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就活は所詮は茶番だと割り切ることが大切な件

大学生の就活が始まったとの報道が目に付く。

僕も大学時代は就活をしたが、今ほどは騒がれていなかったし、当の本人には悲壮感は全くなかった。当時は景気が良かったということもあるが、就活によって一生が決まると考えている人たちは多くはなかったように思う。自分が選んだ職種や会社によって確かに人生は左右されるが、決定的に人生が決まるわけではない。

 

昨今の学生たちがどれほど就活に思い入れがあり、人生が決まると思い込んでいるのかは分からない。もし、新卒時の就活によって人生が決まると思い込んでいるのならば、それは杞憂であると声を大にして言いたい。

また、就活なんて所詮は会社と学生の化かしあいであり茶番に過ぎないものである。

 

なぜ茶番だと言い切れるのか。それは会社側の採用という行為はつまるところいかに自社に馴染むかを重視し、逸脱していない無難な人選に落ち着くものだからである。決して「優秀」な人を選んでいる訳ではない。またここで言う「優秀」の定義も曖昧模糊としていて結局は採用側の主観に基づくものである。人としての価値を計るものではなく、あくまで個々の会社の基準に基づいたローカルルールに則った相対的なものである。だから選考に落ちたとしても、それは人として劣っているわけではなく、単にその会社のローカルな基準に合致しなかっただけのことである。

また、採用担当者に「人を見る目」があるとは限らない。たまに人事採用のプロを自称する輩もいるが、そんなものはあくまで自称であり、この世に人を見抜くプロなんて存在しない。自称採用のプロとは自社に合うか合わないかを経験に基づいて判断できる程度のものである。

人は容易に他者に「見抜かれない」からこそ面白いのである。

 

新卒の就活とはそれぞれの会社が自社に合いそうな学生をチョイスするだけの壮大な茶番劇だと割り切って臨んだ方がよい。

間違っても、自分の人としての価値を決めるものだと捉えてはいけない。有名企業や大企業に採用されたからといって天狗になってはならないし、選考に落ち続けたとしても自分を卑下することなどない。内定を得た人はたまたまその会社との相性が良かっただけであり、内定を得られない人はたまたま運が悪かった、それだけの話である。

 

有名企業・大企業あるいは自分の希望する会社に採用されなかったとしてもそれで人生がすべて決まるわけではない。確かに有名企業に入れば世間体は良くなる。しかしながら、就活に成功したから幸せになれるとは限らない。逆に就活に失敗したからといって不幸になるわけではない。就活なんて人生のほんの一場面に過ぎないのだ。

 

僕は就活なんて辞めてしまえと煽りたいわけではない。就職は人生の中でのビッグイベントである。ただし、就活をあまりにも神聖視してはならないと強く思っている。必要以上に意識を高くすることもない。

仕事なんて人生の一部に過ぎないと捉え、同様に就活なんて茶番だと醒めた態度を持つことも大切なことではないだろうか。

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