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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

この豊かな社会に生まれ、生きていることに感謝しているという件

生きるということ 社会について考えてみる

僕はこのブログでこの国は生き辛いとあるいは働き辛いと述べてきた。

世間のしがらみが多くて同調圧力が強くて息苦しい社会だとも述べてきた。

しかしながら、よほどのことがない限り、衣食住に困ることは無い。貧困問題は存在するが、普通の人たちにとっては実感が湧かないどこか遠い世界の話だと感じられる。相対的な貧困層はじわじわと増えているが、極端に治安が悪化したとか暴動が頻発するような事態にもなってはいない。

 

結局は何だかんだ言ってもこの国は物質的に豊かな社会なのである。そしてとても便利で暮らしやすい社会なのだ。

僕は低収入でギリギリの生活をしているが、それでも途上国の人たちからすると恵まれている生活を送っている。僕は豊かな社会の恩恵を確かに享受している。今日明日食べるものに困ることはないし、屋根付きの家に住んでいる。家電製品に囲まれているし、携帯電話やパソコンも自分専用のものを所有している。

 

僕はときどき後ろめたさを感じることがある。途上国や貧困国の犠牲によってこの豊かさを成り立たせていて、知らず知らずのうちに「搾取」に加担しているのではないかと。

たまたまこの国に生まれたから衣食住の心配をせずに済んでいるのだと思ってしまう。

多くの人が僕と似たような感情を抱いていると思う。

その思いが暴発するとやたらに途上国の問題に首を突っ込むことになる。あるいはこの社会で貧困にあえいでいる人たちに「途上国の貧困」よりましであり、我慢しろと筋違いの物言いをしてしまう。これはこれで正しいとはいえない。「犠牲の累進性」ともいうべき考え方は、この社会の貧困問題を隠匿し、国家やエスタブリッシュメントの格好の責任転嫁となってしまう。

 

とはいえ、貧困問題が存在しながらも、その解消方法がある(生活保護等の社会保障制度)ということは、また豊かな社会であるということである。

僕のこれまでの反省点として、貧困問題にこだわり熱くなるあまりにこの社会の歪みや矛盾点ばかりをクローズアップしてきたきらいがある。

この社会の豊かさの恩恵を受けているのにその事実をついつい忘れがちになってしまっていた。

 

僕はこれからも貧困問題、働き方、生き方等についてあれこれ問題提起をしていきたいと思っている。同時にこの国に生まれた幸運を忘れないようにしたい。

 

何だかんだで僕はこの豊かな国で生きさせてもらっている。

何だかんだ言っても、結局は僕はこの国を愛している。