希望の舎―再生編ー

ライフサポーター&開運アドバイザーが書き綴るブログです。「あなたの心に灯をともす」ため、先人が伝承し語り継いできた叡智を伝えます。テーマは歴史/教育/宇宙論/仕事/居場所/心と体の癒し/健康法/開運法/運気アップ/民俗学/文化人類学/食養生法/少食/自然医学/甲田療法/中村天風/斎藤一人/エドガー・ケーシー/生きづらさ

常々、母とのジェネレーション・ギャップを感じている件

僕の母は太平洋戦争中に瀬戸内の離島で生まれた。母の両親、つまり僕の母方の祖父母は祖父が神主をしながらみかん栽培をし、祖母は主にみかん栽培をする兼業農家であった。

 

母と僕とに世代間ギャップがあるのは当たり前の話である。戦中派と新人類世代(バブル世代)では価値観が異なるのは当然である。

なぜわざわざこのテーマを選んだのか。

それは働くこと、雇用についての団塊世代より上の世代の一般的な考え方を知る上でなかなか面白い点が見出せると思ったからである。

 

母は中学校を卒業後に島から出て地方都市にある地場の証券会社に正社員の事務員として就職した。当時(昭和30年代)は高校に行かずに就職することは珍しくなかったという。

今は大卒でも事務系の正社員の仕事に就くことは難しいことを鑑みれば、当時はまだまだのどかな時代だったのだろう。

 

母は父と結婚して専業主婦となった。

同年代の人たちと比べてもごく普通のライフヒストリーである。

何が言いたいのかというと、母は同世代の人たちと比べても突飛な価値観をもってはいないということだ。

 

さて、こんな母だから僕には安定した仕事に就いてほしいと願っていた。僕が公務員試験に合格したときはとても喜んでいたし、僕が公務員を辞めたと知ったときは(事後報告だった)かなり落胆していた。落胆したどころか、僕が公務員を辞めたことを結構長い間親戚には言わなかった。世間体が悪いと感じていたのだ。

 

僕は公務員を辞めた後に専門学校の講師、社会保険労務士を自営したが、これらは世間体が悪いと感じなかったのか何も言われなかった。ただ「安定」はしていなかったことが気がかりだったようだった。

そして僕が社労士事務所を廃業した後に実家に身を寄せたときには諦めていたのか、もう何も言わなくなり、今は自分の食い扶持を稼ぎ、家に幾許かのカネを入れればどんな仕事をしてもO.Kとなっている。

僕は不肖の息子であることをいつも母に心の中で詫びている。

 

母はニートフリーターが理解できないでいる。本人のやる気のなさが主な原因であると思い込んでいる。社会システムの矛盾によって働けない人たちがいることが今ひとつピンとこないらしい。

母やあるいは父が現役だった頃は意欲さえあれば正社員として働く口が沢山あったから、正社員として働かない、あるいは働けない若者たちのことを理解できないのだ。さすがに中高年の再就職は厳しいことは理解しているようで、そのおかげで僕は母から責められないでいる。

 

それと母は「ブラック企業」と呼ばれる会社についても理解に苦しむらしいのだ。母は会社は社員のことを思っていてくれているものと未だに信じている節がある。会社は信じるに足るもので、非道なことはしないものと信じているのだ。僕がいくらひどい会社の話をしても、それは特殊な事例であって、会社は善なる存在だと信じている。だから、会社のためには自分の身を犠牲にするのは当然だと考えているのだ。僕がある介護施設でサービス残業をさせられたときに会社にクレームをつけようかとの話をしたら、母は猛烈に反対したことがあった。会社に文句をつけるなんて考えられない、残業代なんて普通は出ないよ、と言って。

 

おそらく母の考え方、価値観が母と同世代の人たちの一般的な価値観である。

会社は善であり、ブラック企業やそれに類する会社なんてレアである。

会社には長期間、できれば定年まで正社員として「勤め上げる」ものだ。

フリーターニートは本人の「甘え」だ、等々。

 

雇用や労働に関する言説で僕の世代や僕より下の世代と団塊世代・戦中世代との間にかなりのギャップが存在することを、僕は母というフィルターを通して実感している。

母と同世代の人たちはまだまだ社会に影響力を持っている。若年・壮年世代とのギャップはそうそう埋まらない。

今後もしばらくは会社に対する幻想や正社員幻想は存在し続ける。

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