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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

会社中心のこの世の中に異議申立をしながら生きていく件〈再掲〉

この世の中は会社ありきで回っている。

政策にしても世間の常識にしても会社中心である。

雇われて働くことを拒否している人たちにとってはなんとも生き辛い社会である。

 

初出 2015/7/28

 

会社はモノ、サービスを提供し利益をあげるための組織に過ぎない。あくまで人が中心となるべきものである。

人ありきで会社が存在し、会社ありきで人が従属するのではない。

 

今のこの世はあまりにも会社の論理で動きすぎているように思われる。

働く=会社に雇われるという考え方が一般的である。

教育の目的が良き会社人間の養成に堕している。

高校でも大学でもキャリア教育だのグローバル人材の育成だのという、会社に従順な人たちを大量生産する工場のようなものになりかねない。

 

繰り返して言うが、会社はカネ儲けをするために便宜上作られたハコに過ぎない。

会社の存続・発展のために人を酷使し、隷属させるのは本末転倒である。

僕たちは会社を大きくするために存在しているのではない。経済活動が滞りなく行われるのであれば会社なんて存在しなくてもよいのだ。みんながそれぞれに生業を持ち、モノやサービスの交換ができれば会社なんて無用の長物である。

 

会社、特に大企業の利益の確保・擁護のための政策ばかりを打つ自民党なんて、「自由」で「民主」という噓ばかりの党名を辞めて、「大企業利益擁護党」と実態に合った党名にすればいいのだ。庶民の生活よりも会社の利益の方が大事なんて考えるようなバカで無能な政治家の寄り集まりが今の政府である。

 

政府や政治家ばかりを責めても意味はない。

世間の多数派は会社中心のこの社会のあり方を受け容れていて、それが当たり前だと錯覚している。会社ありきでしか人生設計できない人も多い。会社のメリットを享受するという覚めた見方をするのはまだ合点がいくが、会社の論理に絡みとられ、それを自覚しないまま会社に従属して一生を終えるという生き方には合点がいかない。

 

会社の論理が「公共」の領域までも侵食していることにはもっと注意を払わなければならない。

誰もが利用できる公共の場、例えば公園なども有料化し、人を締め出している。教育にも会社の身勝手な論理を適用しようとする。医療や福祉についても同様である。

会社の論理が絶対の価値観となり、何物よりも優位に立つような社会なんて地獄絵図である。

会社なんてこの世の片隅で存在する必要悪に過ぎないのだ。

改めて、冷静に考えれば、会社がなくても僕たちは生きていける。多少の不便さは覚悟しなければならないけれども。

 

会社がデカい面をしてこの世にのさばるのを、手をくわえてみているだけではダメなのだ。

バカな政府や政治家や官僚が会社と結託して僕たちの生活を破壊する蛮行を阻止しなければならない。

そのためには、会社の論理が身勝手なものに過ぎないこと、会社が当たり前のように存在することを疑問視すること、そして会社は必要悪であることを改めて意識することが肝要である。

かなりの天邪鬼だけれども。