戦時中、国家の意に沿わない言動をする人たちを「非国民」呼ばわりして攻撃の対象としていた。たちが悪いのは人を非国民として詰っていたのは一般大衆だったことだ。当時の「常識」に外れる人たちはすべて非国民だったのである。
この「非国民」という言葉は死語に近いものとなっている。しかし、人を非国民呼ばわりするようなメンタリティはなくなってはいない。例えば会社等の組織の論理に馴染めない人たちを排除し、社会人失格のレッテルを貼る行為は同根のものである。
さて、この国の誇るべき人物であるバカボンボン総理のアベが唱える「一億総活躍社会」というスローガンである。こんなに内容がスカスカの空疎なスローガンは噴飯ものである。でも、アベの頭の悪さを揶揄している場合ではない。実はこのスローガンがこの国の真っ当と言われる人たち、いわゆる多数派に意外とフィットしているのだ。
「生涯現役社会」だの「ひとりひとりが輝く社会」といった類のスローガンに同調する人たちと親和性が高いのである。
僕は人が良いので「一億総活躍社会」といった空疎なスローガンを臆面もなく言うアベちゃんが腹に一物を持っているとは考えない。おそらくアベちゃんは本気であるいは善意からこのスローガンを作り出したのだと思いたい。
このスローガンが時の経過と共に霧消すれば問題はない。ああ、あの頃なんか言うてたな、といった感じで人々の記憶から消えてしまえばいい。
ただ、「一億総活躍社会」というスローガンが少しでも実効性があるものになったとしたら、少々厄介になる。
厄介になると言っても、多数派にとってではない。僕のような少数派、会社に馴染めず、世間から少しでも離れたいと思っている人間にとっては厄介になるのではと怖れているのだ。
つまり「活躍」しない、あるいはしようとはしない人たちを「非国民」扱いしやしないかということである。
僕の考えすぎなのかもしれない。
しかし、この国の多くの人たちは「空気」に流されやすい性質を持っている。もっともらしいスローガンに盲目的に隷従する性質を持っている。このことは過去の歴史が物語っている。
ただでさえ、世間ではとても同調圧力が強い。
正しいかどうかは二の次で、「みんな」が決めたこと「みんな」が思っていることに従わないと異端視される社会である。
「みんな」が自分たちの価値観を疑うこともなく、その価値観から外れた人たちを非国民としてバッシングすることは「みんな」にしてみれば容易いことなのだ。
それらのことは「一億総活躍社会」というスローガンへの対応だけに限った話ではない。
政府(権力者・支配層)が推し進める政策等に異を唱える人たちに対する執拗なバッシングは後を絶たない。最近は特にその傾向が強い。
異論が封殺されるような社会は歪な社会であり、とても不健全な社会である。
「非国民」であるとして人にレッテルを貼る行為は、異論を封殺する最も卑劣な行為である。また、人を思考停止に至らしめる危険な行為である。
「非国民」とは一体誰のことなのか。
安易に他者に対して「非国民」のレッテルを貼る行為は自分の首を絞めることになることを忘れてはならない。エスタブリッシュメントの手のひらで踊らされていることを忘れてはならない。