僕は今でも「使えない奴」とは思われたくない。競争社会から降りて、ゆるく生きようと決めてはみたもののやはり有用な人物と思われたい。
「使えない」と似て非なる言葉に「ポンコツ」というものがある。僕はこのポンコツという表現が割合と気に入っている。
芸能人でポンコツ呼ばわりされている人は結構いる。お笑い芸人のさまぁ~ずの三村さん、出川さん、アンジャッシュの児島さん、フリーアナウンサーの赤江珠緒さんなどが代表的な人たちである。皆さん僕が好きなタレントである。赤江さんがパーソナリティをつとめる「たまむすび」はリアルタイムでは聴けないがほぼすべてネットでチェックしている。そのポンコツぶりににんまりしながら聴いている。赤江さんは元々大阪の朝日放送の局アナで、僕の好きな深夜番組である「ごきげんブランニュー」のアシスタントをしていた。当時は割りとしっかりとした感じで取り立てて注目していたわけではない。独立してフリーとなってから「たまむすび」のメインMCとなったのだが、たまたまその番組を聴いてみたら局アナ時代とは全く違う感じとなっていて、そのポンコツぶりの虜となったのである。
ポンコツという言葉が意味するのは単にミスが多い、使い物にならないといったことだけではない。
そこには愛がある。
例えば愛車をポンコツ呼ばわりするときにはそこに漂う愛着の気持ちが滲み出ている。
三村さんにしても赤江さんにしても仕事を沢山こなし結果を出している。単に使えない人がこんなに成果を出すわけがない。時折出してしまうミスや頓珍漢な言動が決して致命傷にならないのだ。いや、むしろ訳の分からないことをしたりミスをすればするほど愛されるキャラクターになっていく。とても得をしている人たちなのである。
ポンコツ呼ばわりされながらも愛されている人たちには共通項がある。それはえも言えぬ愛嬌があり可愛げがあることだ。それと少々のミスにはめげない強さを併せ持っている。この人なら仕方がないなぁ、と思わせる魔力を持っている。
僕はかつて競争社会の只中にいて、際限なく働いていたときに「肩の力を抜いた方がいい」とか「少しは隙を見せた方がいい」といったアドバイスを受けたことがある。その時は何をぬるいことを言っているんだ、と歯牙にもかけなかった。だが、今となってはそのようなアデバイスが正しかったことが痛いほど良く分かる。僕がいかに余裕がなかったかが良く分かる。僕は決して愛されキャラではなかったのだ。人間としての魅力に欠けていたのだ。
ポンコツキャラの人は魅力満載の人なのである。
完璧な人などこの世にはいない。
しかし、多くの人たちは完璧さを求め、あるいは完璧な人を演じようとする。そんなことをすれば疲弊するだけだ。楽しく人生を送ることができなくなる。
僕は今、ポンコツと呼ばれる人にとても憧れている。
ないものねだりということは分かっているが、僕もいつかはポンコツ呼ばわりされつつも、周囲の人たちから愛されるような人になりたい。