希望の舎―再生編ー

ライフサポーター&開運アドバイザーが書き綴るブログです。「あなたの心に灯をともす」ため、先人が伝承し語り継いできた叡智を伝えます。テーマは歴史/教育/宇宙論/仕事/居場所/心と体の癒し/健康法/開運法/運気アップ/民俗学/文化人類学/食養生法/少食/自然医学/甲田療法/中村天風/斎藤一人/エドガー・ケーシー/生きづらさ

嫌なことや辛いことからはさっさと逃げてもよい件

人は誰しも嫌なことをしなくても済めばそれに越したことはない。

嫌なことをやり続けると精神衛生上良くないし、そのことによって心身を壊してしまうこともある。

この国では古来から嫌なことをやり続けることが美徳であるという風潮がある。何事も我慢が肝要で、我慢を続けることによって人格が磨かれるなどという、僕からすれば妄言と思えるような言説がまかり通っている。

確かに人生の途上において嫌なことをしなければならないこともある。我慢を要する出来事にも出くわすこともある。

だが、嫌なことや我慢しなければならないことをすべて甘受する必要はない。

時には嫌なことから逃げても良いと思う。

我慢できないことには素直に我慢をしない選択をしてもよい。

 

過労死過労自殺に至った人たちは我慢強い人が多かったのではないだろうか。この国では美徳とされる忍耐強さや我慢強さによって生命を絶たれることになってしまう。不条理である。

働きすぎることによって死んでしまうなんて異常なことだ。

責任感が強いことや忍耐力があることが徒となってしまうなんて絶対におかしい。

過重な仕事から逃げるという選択肢を常に用意しておくことが必要なのかもしれない。

 

この社会では何事かから「逃げた」人たちを非難する傾向がある。ある問題に正面から立ち向かい最後までやり遂げることが尊いという考えが一般的になっている。

確かに困難な出来事に遭って、それを克服するためには少々のことで逃げてはならないと思う。あれこれと解決策を考え、試行錯誤を繰り返すことによって人間的に成長するとも思う。

しかし、自分の限界を超えてしまったとき、にっちもさっちもいかなくなったときには「逃げる」という道も開かれておくべきだ。

人はそれほど強い生き物ではない。

学校でイジメに遭って追い詰められたときには学校を休むなり転校してもよい。本来はいじめる側に何らかのペナルティを課すべきではあるが、公立の義務教育では現実問題として難しい。

イジメに負けるな、という悪しき精神論に従ってはならない。

劣悪な労働条件で働くことを強いられている人たちも我慢の限界を超えたら、その会社を辞めて転職をすればよい。

会社や同僚に義理立てをする必要はない。

自分の命や健康を最優先に考えるべきである。

誰にもこの行為を非難する資格はない。

 

人は自分の好きなことをすれば快楽を感じる。

当たり前の話だが、この当たり前のことが意外とないがしろにされているのではないだろうか。

好きなことばかりをしている人を見ると、多くの人たちは眉を顰める。嫌なことから逃げた人に対しても同様の態度を取りがちだ。

 

人生は楽しむためにある、と僕は思っている。

嫌なことの内の何割かは「逃げて」、自分にとっての居心地の良さを追求してもよいはずである。

  

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