希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

キャリア官僚が優秀なんて幻想である件

この国では政治家はどうしようもないが官僚は優秀だという言説がまことしやかに語られてきた。

国を実際に動かしているのは官僚であり、官僚が優秀だからこそ戦後の経済発展が実現したという言説である。

これらのことは本当のことだろうか。

確かに権力を一手に握っているのは官僚たちである。政治家は官僚の手のひらで踊らされているにすぎない。官僚はエリートと目されている。

けれども僕は「ちょっと待て」と言いたい。

官僚が優秀だと言っているその発信源はどこなのか、よくよく注視しなければならない。客観的にこの国の官僚たちを研究した結果かといえばそうではない。他の国のメディアや研究機関で官僚が優秀だと実証したものはない。

官僚が優秀だと言っているのは殆どが官僚自身の発信によるものである。要するに官僚の自画自賛である。自分で自分のことを優秀といって憚らない、笑い話にもならない代物である。傲慢で厚顔無恥である。

そもそも、戦後の経済発展にしても、ほとんどは民間会社の創意工夫、がむしゃらに働いた労働者のおかげで実現したものである。官僚は少しだけ貢献したが、反面その何倍も何十倍も阻害したといったところが実際のところである。

 

官僚たち、特にキャリアと呼ばれる人たちは難しいとされる採用試験を通っただけの人たちである。単なる学歴エリート、偏差値エリートに過ぎない。真のエリートに必要な資質や身の処し方を兼ね備えているわけではない。たかだか22,3歳時点での学力で選別されているだけの、お勉強ができる秀才に過ぎないのだ。

 

とは言え、官僚に登用時の能力は人並み優れている「優秀」な人たちだったことは確かである。決められたことを正確にこなす事務処理能力は卓越していると推察できる。おそらくは登用時には国民や国家のために働きたいという理想を抱いていただろう。しかし、官僚として働き始めて腐った官僚制の組織の論理に埋没し、国益・公益よりも省益(既得権の拡大と保持)や私益(出世・天下り先の確保)を優先するようなくされ官僚に変身していくのである。自己保身と出世で頭がいっぱいの小役人になるのである。権限だけは欲しがり、責任は負いたくないという無責任極まりないメンタリティを持ち、そのことを恥じない破廉恥な人間になるのである。

 

もし、官僚が優秀だという仮説が成り立つならば、現在の問題が山積したこの国の惨状をどう説明するのだろうか。すべての問題が官僚の責任ではない。社会情勢や国際情勢によるものもある。社会の変化のスピードについていけないという理由もある。

しかしながら、世の多くの問題は官僚の作為や不作為によって発生しているものだ。もしかすると、政治家や財界よりも罪が重いのかもしれない。行政の実務を担い、政治をコントロールしているのは官僚なのだから。また、行政権が肥大し立法権司法権を凌駕するほどの力を持っているこの国の統治機構の実情からも、行政権を行使する官僚の責任は重い。

 

僕はキャリア官僚が無能だと論いたいわけではない。僕はキャリア官僚が真のエリートたる矜持を持ち、公益のためにのみ働いて欲しいと願っているだけだ。

僕はエリートの存在を肯定する立場である。ただ、この国でエリートと呼ばれている者たちは真のエリートではない。現状のままでは官僚たちはただの国家の寄生虫である。なまじ権力をもっているがゆえにとてもタチが悪い寄生虫である。

 

元々は高い意識や理念をもっていた官僚たちを腐敗させる今の霞ヶ関のあり方こそが問題なのである。エリート意識のみを肥大させて、私益や省益ばかりを追求するような官僚組織がこの国に害悪をもたらしている。「組織(国家)は頭から腐る」との警句があるが、この警句の持つ意味をしっかりと受け止めて、組織の活性化を図るような具体的な手立てを講じなければこの国に未来はない。

何だかんだ言っても、官僚の果たす役割が大きいのは事実なのだから。

 

僕は官僚が真のエリートとしての立ち居振る舞いをして欲しいと切に願っている。

安易な官僚バッシングには与したくない。

現状のままでは、キャリア官僚が優秀だなんて幻想に過ぎない、と嘯くだけだ。