希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

この国の政府は労働者を信用していない件

政府の雇用に関する統計によると、労働力人口の8割が雇われて働く人たちである。雇われて働く人とはほぼ労働者のことである。

この国は労働者が多数派の労働者の国なのである。

 

今では信じられないが、この国では労働運動が激しく燃え上がったことがある。大正期から戦争に突入する前と戦後すぐの50年代頃のことだ。関連書籍を読むと、まさに革命前夜の様相を呈したらしい。

労働者は危険分子を多く含んだ厄介な集団だと為政者側は意識しているのかどうかは明らかではないが、少なくとも労働者をうまく統制しなければならないと考えてはいるだろう。

 

同時に政府は決して労働者を信用はしていないはずだ。僕が支配者側に身を置いていたならば、労働組合法を即時に廃止する。労働組合の権利を認めると厄介だからである。今でこそ労組は大人しくなり、権力側とズブズブになっていはいる。しかし、一旦反権力的な性質を帯びると数が数だけにかなり為政者にとっては厄介になる。

今の労働組合の体たらくぶりに政府・権力側はきっとほくそ笑んでいることだろう。

 

政府が労働者を信用していない証としては社会保障制度のあり方を見てもそう伺える。

この国の社会保障制度は「選別主義」と社会保険方式の採用が大きな特徴である。国民全体に満遍なく生活保障を行うという視点に欠けている。

例えば生活保護は生活困窮者すべてに給付をするわけではなく、それらの人たちをさらに選別し、「救済に値する」と決めた人たちのみに給付を与える。事実、生活保護の捕捉率は極めて低い状態のままである。一説には生活保護基準以下の生活困窮者のうちの2割程度だと言われている。

 

政府・為政者の言い分は社会保障を手厚くすれば労働者が怠けるということだ。実際に国会議員や官僚の中にもそう明言する輩が沢山いる。

確かに社会保障にタダ乗りする人も一部に出てくるが、多くの労働者は社会保障で食うよりも働いて食っていく道を選ぶはずだ。社会保障を手厚くしても、労働意欲の減退は起こらない。

国民の生活の安心・安定に心を砕くことが、政府の最も重要な役割のはずである。社会保障制度によって労働者が働かなくなると嘯くような政府・政治家は自分の責務を放棄しているのに等しい。「政治」の何たるかを知らない無能で資質に欠けた無責任体質の輩ばかりだと言える。

 

国民の政治不信の原因のひとつとしてこの政府・政治家の労働者に対する信用が欠けていることがあるのではないだろうか。

僕は別に政府がバラマキ政策をして、労働者の機嫌を取れと言いたいわけではない。

ただ、社会保障費は国家財政のコストとして捉えるのではなく、将来に対する投資と考え、効率的・効果的に財源を配分すべきだと思う。

労働者が後顧の憂い無く働くことができる環境を整えることが、経済成長につながるという発想を持つべきなのである。そのためには政府は労働者を信用しなければならない。

 

政治不信はおざなりの耳障りの良い政策を口先だけで唱えるだけでは消えることは無い。

政府が労働者、もっと広くとらえて国民を信用することからはじめなければならない。