希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

僕は「愛国者」である件〈再掲〉

僕は愛国心を持っている。

それは自分が育まれた郷土、人々に対するものである。

国家に忠誠を誓うこととは似て非なるものである。

 

初出 2015/3/16

 

僕はこの国を愛している。

たとえ生き辛い社会であろうと、世間の同調圧力が強かろうと、その他不条理なことが多かろうとも。

生まれ育った故郷、青春時代を過ごした街には格別の思い入れがある。僕という人間を育んでくれた故郷、そしてこの国を愛おしく思っている。

 

愛国心とは郷土愛の延長線上にあるものだと僕は思っている。自分という人間を育んだ風土、人を無条件に受け入れ愛することが愛国心に繋がっていくと考えている。

立派な国だから愛するという訳ではない。たとえろくでもない国であっても、愛国心は育つものだ。

 

僕は国家が愛国心を強制することには断固として拒否する。教育によって愛国心を育んでいこうという流れには断固として反対する。

愛国心は教育によって刷り込みがなされるようなものであってはならない。国家の介入があってはならない。

国家が強要する愛国心は所詮はエスタブリッシュメントを守るという歪な目的のためのものに過ぎない。政財界の偉いさんのために命を懸けることなんて馬鹿げている。僕たちは愛する家族や隣人、故郷のためになら命を懸けてもいいと思えるのだ。

 

愛国心は自然発生的に芽生えるものがあるべき姿である。親から子へ語り継がれるもの、人と人との関わり合いの中で生まれてくるものである。

また愛国心をもてない者に対してもそれを認め、寛容であるべきものである。

 

僕は愛国者であるが故に、愛国心を殊更表に出す政治家を信用していない。その手の輩が言う愛国心に邪なものを感じ取るからである。彼らが言う「クニ」とは自分たちの利権・既得権が享受できるクニという意味でしかない。本当にこの国を愛しているのではなく、自分がいい思いができる国家形態を維持したいだけなのだ。おそらくこの手の輩は有事となった際にはいち早く逃げ出すだろう。

 

僕は愛国者だが、この国のエスタブリッシュメントを守るような「愛国心」など持ち合わせていない。もし、国を守るためにエスタブリッシュメントたちを差し出せと言われたら喜んで差し出す。為政者が変わっても、この国が守られるのならばそれでよい。これこそが庶民のリアリズムであり、庶民が持つ愛国心なのである。

僕の親や祖父母、親族、友人、生まれ育った故郷が守られればそれで十分なのである。

政治家や自称識者が強制しようとしている愛国心などクソくらえである。

 

愛国心を声高に叫ぶエスタブリッシュメントたちに告げる。

僕はお前たちの魂胆は見透かしている。

お前たちの声は全く心に響かない。

庶民をナメるなよ。

庶民をナメると痛い目に遭うぞ、と忠告しておく。