希望の舎―再生編ー

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「自己決定」は本当に「自己」で決定しているのかという件〈再掲〉

僕たちは本当に自己決定をしているのだろうか。

「自己」で決定していると思い込んでいるだけではないだろうか。

自己決定を絶対視してはならない。

 

初出 2015/3/12

 

僕たちは何事かをなすときにすべては自分の判断で自分で決定していると思っている。

現代社会ではこの「自己決定」が正しいこととされている。

例えば福祉の領域。

介護保険法や障害者自立支援法によって高齢者や障害者の「自己決定」が尊重され、自分で好きなサービスを受けることができる建前となっている。従前の行政による措置制度では高齢者や障害者の意向よりも行政の意向が重視されていた。

現行制度の理念や趣旨は正しい。

しかし実際の運用は必ずしも理念通りにはなっていない。認知症の高齢者や知的障害者は判断能力が怪しいと見られ、家族やケアマネの意向が通ることが多々ある。

 

医療の領域でも、近年は「インフォームド・コンセント」が重視されている。病状や治療方法、病気そのものの説明を医師が行い、患者は自己決定によって治療法を選択することになっている。

しかし、医師と患者では病気に対する知識や情報量には雲泥の差がある。結局は医師任せになったり、医師の都合の良い治療法に誘導される危険性がある。

 

福祉の領域でも医療の領域でも、利用者や患者の自己決定に基づく処遇が必ずしもなされない虞がある。

 

そもそも「自己決定」が本当に絶対的に正しいものなのか疑問が残る。

ある人が「自己決定」によって物事を判断し実行すれば、その結果がどうであれすべては本人の責任だと突き放す口実になる。

例えばニートや引きこもりになった人たちに対して、自己決定の結果そうなったのだから、自分で何とかしろとなってしまう。

そう、タチの悪い自己責任論に通じてしまうのだ。

医師の誤った治療法を自己決定で選択したのだから、本人がすべて悪いということにもなりかねない。

 

人はすべてのことを「自己決定」できるほど賢明で強いものなのだろうか。

僕は違うと思っている。

周囲の空気や周囲の言葉に右往左往するのが現実の姿である。

このような「自己決定」を絶対視する態度は人間観が欠如していると思われてならない。

 

確かに僕たちは自分自身の力で行く道を選択しなければならない。

自分で判断する基準となる知識や情報を己の手で取得する必要がある。

時と場合によってはそれらはかなり酷なことになる。

時と場合によっては「自己決定」ができないこと、「自己決定」をすべきではないこともある。

 

僕たちは自己決定に潜む危険性をあらかじめ知っておく必要がある。

自己決定がすべて本当に自分だけの判断で決定しているのかを疑ってかかる態度を持たなければならない。

 

自己決定を絶対視することで他者の責任回避の免罪符となってはいないか、よくよく考えないと悪質な自己責任論と化してしまう。

  

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