希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

組織に順応しすぎると副作用もある件〈再掲〉

学校教育は結局のところ組織に順応する人たちを生み出すためにある。

国家に会社に役所に従順な人たちが多数を占める社会が安定した社会なのである。

そんな社会をクソ面白くもない、なんて思っている僕はただのはぐれ者なのだ。

 

初出 2015/3/3

 

僕たちは学校にしても会社にしてもあるいは広くとらえて社会にしてもその組織に順応することを強く求められる。組織に順応してこそまともな人間だと認知される。

組織に順応できない人はその人の資質や性格に問題があるとされ、組織から排除される。

 

確かに組織に順応できるとその場においては組織の構成員と認められ、役割を与えられ、居場所を確保できるメリットがある。大過なく生きていくことができる。

だからこそ学校教育では個の確立よりも集団の中でのあるべき立ち居振る舞いをインプットし続けるのだ。

 

各々の組織には特有のルール(掟)が存在する。組織に順応するということは、フォーマルなルールとインフォーマルなルールの双方を受け入れそれらに従うことである。

縛りの強い組織では各成員の一体感を作り出す。

 

僕はこの一体感をはじめとする組織の論理が肌に合わない。まずは自分ありきだとの意識が強いのである。もちろん一旦会社に勤めればルールには従うが、不条理と思えるルールに自分を殺してまでも従うことをよしとはしない。例えば付き合い残業なんてその最たるものである。

 

とはいえ僕は組織のルールの存在自体を否定するものではない。組織にルールや掟があるのは当然であり、組織に属する者はそれらに従って然るべきである。ただ、ものには限度があるということだ。

 

組織に過剰に適応する人たちがいる。世間一般の評価では、それらの人たちは真っ当な人であり時には優秀だと看做される。それらの人たちは組織内で高い評価を受け、高い報酬や地位や役職が与えられる。

問題はその組織から一歩出たときにどうなるかである。極端な言い方をすれば、組織に庇護された人たちは本当に「自立」しているのかということである。また、ある組織に飼い慣らされていると、その組織のルールが至上のものと思い込み、かつ自分の価値観がその組織のそれに染まってしまうことになりかねない。

俗に言う「サラリーマン根性」や「お役所根性」である。周囲の(上司や同僚)の目を極端に気にして横並び意識にとらわれる。自分の意見や主張を抑えて、空気を読み、同調する。

自分の意見や主張を強く押し出せば煙たがられ、出世できない。組織の縛りを嫌って辞めれば「裏切り者」のレッテルを貼られたりもする。

これからは「個」の時代だとかというお題目が唱えられているが、実態は旧態依然とした組織が未だに多いのではないだろうか。会社あっての自分だと思い込んでいる人たちも結構多いのではないだろうか。

 

組織に順応しすぎると、知らず知らずのうちに自分というものを失くしていく。ただ、このことが一概に悪いとはいえないことに大きな落とし穴がある。ある組織に適応して生きることは、その間は心地よいことが多いからである。

 

もしかすると、組織に馴染めず、自分を押し殺すことに我慢がならない僕のような人間はこの社会で世間でマイノリティであり、存在を許されない人間なのかもしれない。

この事実を受け止めて、僕はアウトサイダー的な生き方を全うするしかない。