希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「見栄を張る」ことをやめると楽になる件〈再掲〉

僕たちはついつい見栄を張ってしまう。

自分を等身大以上に他者に見せたいのだ。

見栄を張ることで自分の生き方を縛るのは悲しいことだ。

 

初出 2015/2/23

 

自分の家を持つことがステータスだと思っている人が多い。同様に高級ブランドのバッグや服を持つことが自分のステータスを上げると思い込んでいる人も多い。

 

僕は思う。

マイホームを買うのもブランド物を買うのもその殆どが見栄によるものではないのかと。

モノによって他者との差別化を図りたいだけなのだ。自分の存在価値を高額なモノを買えるという事実を世間に見せびらかすことによって確かめているのである。

 

家なんて住めればよいものだ。

所有権が自分にあろうと他人であろうと関係ない。マイホームを持つことは見栄や自己満足に過ぎない。

そもそも自分の家を長期のローンで買うことに合理性は無い。かなりの額の利息を払わなければならない。ローンの返済中に仕事を失うこともある。また、ローンの返済中は銀行等から抵当権を設定され、事実上はその家は銀行のものなのだ。長期のローンを払い終えてやっと自分の家になるが、その頃は家はボロボロになっていてリフォームをしたり、建て直しをしなければならない。

本来は持ち家なんてものは昔のようにカネを貯めて一括払いで買うべきものだと思う。カネ持ちの特権とでも言うべきものである。

持ち家信仰は銀行と住宅メーカー、建設業者と政府が結託して作り上げた幻想である。人々の見栄につけこんで超長期の借金に過ぎない住宅ローンという商品を売りつけているだけなのだ。住宅ローンという借金漬けになって身動きの取れない、生き方を制限されている数多くの人たちが存在する。

 

ブランド物のバッグや服も必要な物とはいえない。見栄や自己顕示欲の顕れである。

服やバッグの機能を果たすモノを買えば済むだけの話である。適正な価格で高品質なモノは探せばいくらでもある。

ブランド品を現金で買っているうちはまだよい。クレジットやローンという名の借金で買い続ける行為は愚かである。クレジットやローンは決済を先送りにしているに過ぎない。立派な借金である。借金をしてまでブランド物を買うということは、見栄と物欲にわが身がとらわれていることである。

 

人は誰しも見栄を張るという行動心理を有する。他者よりも良いモノを持って、自分の存在価値を高めて他者より優位に立ちたいと思っている。

このことを一概に非難することはできないだろう。人が元来有する本質的な欲求なのかもしれない。

 

見栄を捨てると、とめどもなく溢れていた物欲から逃れられる。

見栄を捨てると、あらゆることから少しばかり「自由」になることができる。

「見栄を張る」ことをやめると肩の荷が下りたように楽に生きられるようになる。

 

僕は「見栄を張らない」生き方をしていきたい。