希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

誰が「弱者」で誰が「強者」なのか考えてみる件

僕はこのブログでよく「弱者」という言葉を使っている。あえて使っている面もあるのだが、ここで「弱者」とは誰のことか、整理して考えてみたいと思う。

 

世の中には常に「強者」と「弱者」が存在し、強者は常に弱者を抑圧し統制し搾取しているという二元論的な捉え方はシンプルで理解しやすい。

強者は権力を持った悪で、抑圧されている弱者は善であり、弱者は団結し悪である強者を打倒すべきであるという単純な革命論はときには有効性をもつ考え方となる。

強者を資本家、弱者を労働者と置き換えればマルクスの唱えた階級闘争となる(こんなに単純ではないが)。

 

社会の成り立ちが、絶対的強者と絶対的弱者から成るものならば話は簡単だ。

ところが現代社会はより複雑なものになっていて、この単純な二元論的な解釈では説明できない事象が多いし、社会問題の根っこも同様である。

 

僕は絶対的な強者・弱者と相対的な強者・弱者が存在し、各グループ間での移動もありうるものだと捉えている。

 

絶対的な強者とは政財官界のエスタブリッシュメント層である。この層は社会の支配層に属し、社会をコントロールできる力を持っている。

これらの人たちは自分の地位と名誉等を守るためにあらゆる手段を講じる。社会の安定を強く求めて、保守的な思考を有する。

当然の話である。

現行の体制が続く限りは甘い汁を吸えるし、既得権の上に胡坐をかいていられるからだ。

 

相対的な強者とは、中小企業の経営者や基幹的な業務に就く正社員、高度な専門性を有する正社員や専門家(医師や弁護士、ファンドマネージャー等)である。この層は高い報酬を得られて、その地位も比較的安定している。仮に職を失っても、多くの場合同水準の待遇での転職が可能な人たちである(ただ中小企業の経営者は異なる)。

エスタブリッシュメントからは搾取される層であるが、他のグループ(相対的・絶対的弱者)からは搾取している面もある。

 

相対的弱者とは一般の会社員や零細自営業者である。その地位はやや不安定であり、近年では没落傾向のある層ともいえる。

 

絶対的弱者とは自立した生活が危うい人たち全てだと考えている。非正規雇用社員、ホームレス、障害者、心身の病気で働けない人たちなどである。

 

相対的強者と相対的弱者間では移動が起こりやすい。一般の正社員でスキルを身に付けたり、自営業者で成功すれば相対的強者になりうる。逆に相対的強者が転職に失敗したり病気になったりすると相対的弱者となる。一部絶対的弱者になる者も出てくる。

相対的強者・弱者は相互の移動もあるし、運が悪いと絶対的弱者になってしまうということだ。

 

絶対的弱者から相対的強者・弱者に移動することはなかなか難しいのが現実である。一度絶対的弱者になってしまったら、固定化されるおそれがある。これが貧困問題につながっていくのだ。

 

これらの分類は僕の独断であり、粗いものであると自覚している。研究者の間でも「弱者」とは誰のことかという明確な線引きはない。だから僕は好き勝手に決めている。

 

僕は弱者とは、相対的強者・弱者と絶対的弱者のことだと広く捉えている。ただ、ブログのエントリのテーマによって、弱者の定義を変えている。例えば非正規雇用の人たちやニートフリーターをテーマにするときには絶対的弱者を念頭に置いている。絶対的弱者には自助努力や自己責任論を押し付けてはならないとも主張している。一方、相対的強者・弱者には最低限の自助努力は必要だと思っている。

 

僕は広義の弱者すべてに社会保障を手厚くすべきだとは考えていない。

まずは相対的強者・弱者が絶対的弱者とならないようなセーフティネットの拡充が重要だと思っている。具体的には失業関連給付・職業訓練・住宅手当等の施策をもっと充実させることが必要だ。これらの施策を拡充すれば、公的扶助つまり生活保護費の抑制効果もあるし、公的扶助ほどの財政支出は必要ない。再起や自立ができる人たちが増えれば税収も増えるし社会保険料も増える。

 

貧困対策も大切だが、貧困に陥らないようなセーフティネットこそが「弱者」にとって最も求められているものだと、僕は思う。