希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

人は誰でも何かに寄りかかって生きている件

以前に「自立」なんて幻想に過ぎないと書いたことがある。人は互いに助け合ってはじめて生きていけるのであって、自分ひとりで自立して生きていると思い込んでいるだけである。

 

僕たちはこの世に生まれてから常に何かに寄りかかって生きている。子供のときは親に依存して生きている。学校という組織に属してその庇護下に入る。学校を出て働き始めると大半の人は会社に寄りかかって生きていくことになる。会社勤めをしなくても友人・知人の助けを受けたり、仕事関係の人たちとの係わり合いの中で生きていく。あるいは地域社会のつながりの中で生きていく。

 

何度も言うが、自分は立派に自立していると思い込むのは勝手だが、実際は何かに寄りかかっているということから目を背けてはならない。

自立という幻想に絡めとられると傲慢になる。他者に対しての「優しさ」「共感」を忘れてしまう。

 

「自立」していると思い込んでいる人たちの社会的弱者に対するバッシングはとても見苦しいものだ。ニートや引きこもり、生活困窮者、生活保護受給者等に対する「自立」の強制ほど醜いものはなく、浅い人間観や人生観を露呈したものは無い。

仮に「自立」をしていたにしても、それはたまたま運が良かっただけであり、恵まれた環境に自分がいただけに過ぎないのだ。

 

世の中の大半を占める会社勤めの人たちは自分がいかに会社に寄生しているのか一度は冷静に考えてみる必要がある。特に正社員と呼ばれる人たちは。自分で税務申告をしないし、所得税や住民税や社会保険料源泉徴収されている。社宅や寮の提供を受け、その他様々な福利厚生サービスの恩恵を受けている。結婚式の費用を親に出してもらっていないか、住宅ローンの頭金を親に出してもらっていないか。数え上げれば次々と出てくる。

 

僕は会社におんぶに抱っこの状態を批判したいわけではない。利用できるものは最大限利用すれば良い。

ただ、自分が「自立」していると思い込んで、自分の価値観を他者(特に弱者)に押し付けていないかを胸に手を当ててよくよく考えてみるべきだと言いたいのだ。会社人間は会社が潰れたり、何らかの理由で職を失えば、その「自立」した生活はあっという間に吹き飛んでしまう脆いものなのだ。砂上の楼閣に住んでいるのである。

 

人は誰しも何かに寄りかかって生きていかざるを得ない。

この厳然たる事実に向き合いながらい生きていかなければならない。

人はひとりでは生きていくことはできない。

悲しいことだけれども、所詮人間とはその程度の生き物なのである。

でも、嘆くことはない。

人と人との係わり合いの中でこそ生まれてくる「確かなもの」があるからだ。