僕たちは日々の生活を送るうえで様々な顔を持っている。
物やサービスを生産し、またそれを受ける側にもなる。
通貨を報酬として受け取る(労働者)、それを支払う(経営者)側にもなる。
様々な権利を行使することもあれば、様々な義務を履行することもある。
昨今、僕たちは「消費者」として捉えられる言説が多いのではないかと感じている。
僕たちが生活を営む上で消費行動は必要不可欠だ。完全自給自足生活でもしない限り、食料や生活必需品等を買わなければならない。
消費者主体の目線の政策や経営方針が重視されるのも頷ける。資本主義体制は消費活動がなければ成り立たない。
それにしても、と思う。
あまりにも「消費」を煽りすぎているのではないか。
僕たちは消費する存在としてしか見られていないのではないかと感じることが多々ある。
景気回復のカギは「内需拡大」だとお題目のように唱え、消費を促すばかり。老後の生活資金のために貯めている高齢者のお金までも吐き出さそうとする。
給料も碌に上がらないサラリーマンや売上が伸びない自営業者などにも消費を煽る。まるで生活防衛のために消費を控えていることが悪かのように。クレジットカードを大量に発行し、ローンを勧めて、借金してでも消費しろと強いている。
もし、借金で首が回らなくなっても後は自己責任だと切り捨てる。国は個人の救済は絶対にしない。大企業や銀行の尻拭いには莫大な税金を投入するくせに。
庶民が自分の収入に応じて幾ばくかの蓄えをし、必要なものだけを買い、生活を成り立たせるのは当然のことである。
しかし皆がそのような行動をとれば景気が冷え込むという。
国の経済成長が阻害されるという。
GDPが増えるのと、庶民の生活が成り立つことと、どちらが大切かは火を見るより明らかだ。
たとえ、どれほど経済成長をしても、庶民の生活が困窮するような国は決して豊かな国ではない。安心して心穏やかに暮らせる社会ではない。
「労働」の視点からも見てみよう。
消費者の意向を汲みすぎると歪なことが起きる。消費者の求めるものは「安くて」「高品質」な製品やサービスである。企業はこの意向を取り入れすぎると、極限までコストカットをしなければならない。最もしわ寄せがくるのが人件費である。正社員の賃金カットや非正規雇用への置き換えが頻発する。当然に労働者=庶民の収入は減少する。庶民は消費者の顔も持っている。収入が減れば消費活動は低迷する。企業の業績も伸びない。
正に負のスパイラルが起きる。
消費者目線でばかり語るのではなく、労働者目線や庶民目線が必要となってくる。商品やサービスの値段が安いに越したことはないが、度を過ぎると生活を破壊しかねないとの認識が必要だ。バランス感覚を取り戻さなければならない。
僕はグローバル経済のことは分からない。
でも、安いものばかりが売れているわけではないはずだ。高付加価値の商品やサービスに対して多くの需要があると素人ながらに考える。
高付加価値の商品やサービスにこそ「消費者」の性向を汲み取ることが重要なのではないだろうか。
僕たちは政府や会社の「消費への煽り」に惑わされることなく、適度の消費生活で満足するようになればよいと思う。
「生活者」としての「庶民」としての抵抗を忘れまいと、僕は思っている。