裕福でない家庭に育ったり、親から虐待を受けたりして恵まれない環境のもとで育った人は高学歴を得にくく社会的威信の高い職業に就く可能性は低くなる。
しかし、この事実を認めたくない人たちがいる。現に高い階層に属し、それは自分の実力だと思いたい人たちである。その手の輩はこう言う。「恵まれない環境にある人の中でも、頑張って成功した人もいる」。
そりゃそうだろう。
人の人生は「生まれ」で決まるわけではない。しかし、人生のスタートラインに大きな差があるのは事実である。
レアケースを引き合いに出し、自分を正当化する輩が多い。
生活保護受給者は贅沢な生活をしている、多くの人たちが不正受給をしているという妄言を垂れ流す輩がいる。生活保護を受けている人たちの大多数がぎりぎりの生活を余儀なくされている。肩身の狭い思いをしている。確かにごく一部の不心得者は存在する。しかしこの事実は「制度」のもつ宿命であって、不正をゼロにするのは無理である。
レアケースを持ち出して弱者を叩く。この手の輩がこの社会にはなんと多いことか。
ニートは全く働く意欲もなく、裕福な親に寄生している存在である。これもよく見聞きする言説である。世間で流布した偏ったイメージを自分の頭で考えることなくそのまま信じ込むバカな人たちが多いことを意味する。確かにニートの中には裕福な人もいるし、勤労意欲の全くない人もいる。しかし、それらは圧倒的な少数派である。ほとんどのニートと呼ばれている人たちは働きたいと思っているし、経済的には恵まれていない。
これもレアケースを一般化した悪質なイメージ操作である。
政治家や経営者の世襲批判がなされたときに、当の世襲政治家や経営者は「世襲でも優秀な人がいる」と開き直ることが多い。確かに世襲の政治家や経営者でもごく一部に優秀な人がいる。しかし、たいていは世間知らずのバカである。これもレアケースを持ち出して一般論として、自己を正当化しようとしている。
これらのようにレアケースを引き合いに出して、一般論化することが多く見られる。
確かにこの手法は分かりやすい。自分の頭で考えることも必要ない。井戸端会議や居酒屋談義レベルでは許容される。いちいち目くじらを立てることはないのかもしれない。
しかしながら、政治家や影響力のある人たち(コメンティーター、学者、ジャーナリスト等)がこのレベルの発信をすることは許されない。
ちょっと前に生活保護受給者へのバッシングをした片山さつきや集団的自衛権や原発問題で暴走する現首相のような人たちだ。
レアケースを持ち出して一般論化する手法はポピュリズムの最たるものである。またその手法に疑義を抱かない人たちも同罪である。
レアケースはあくまでレアケースである、と冷静に客観的に見る態度が大切である。
レアケースはあくまでレアだからこそ大きく取り上げられるという事実を直視しなければならない。
レアケースを一般論として語る行為は愚か以外の何物でもない。