希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

他人に迷惑をかけてもよい件

僕たちは「他人に迷惑をかけてはいけない」と口酸っぱく言われ続け、このことが正しいことだと刷り込まれている。

確かに故意に他人に迷惑をかけることは良くないことだ。他人に迷惑をかけ、自分勝手な人は周囲から敬遠される。これは仕方がないことである。

 

普通に何の問題もなく生活を営んでいるときは他人に迷惑をかけること、かけられることを避けることができる。迷惑をかけないようにすることが世間でのルールであり、そのルールに意義がある。

しかし、人生においては予期せぬ出来事に遭遇することはままある。仕事を失ったり、病気になったり、やむを得ず借金をしたりと自助努力だけでは克服できないような出来事にぶち当たることがある。

時には他者に迷惑をかけてしまうこともある。

他人に頼らずに自分ひとりで困難なことを背負い込むとにっちもさっちもいかなくなってしまうこともある。

 

場合によっては他人に迷惑をかけることも仕方がないと開き直ることも必要だと、僕は思っている。迷惑をかけ合ってこその家族であり、友人だとも思っている。

大切なことは、迷惑をかけた後の自分の態度である。自分の行為を反省し、同じような過ちを犯さないようにする、より良き方向へ突き進む姿勢を崩さないようにするなどして迷惑をかけた相手との信頼関係を壊さないように努める。

そして、立ち直った後には今度は自分が迷惑をかけられても鷹揚でいられるようにすることだ。

要するに「お互い様」の精神を忘れないことである。

 

今のこの世の中は、他人に迷惑をかけること、かけられることを極度に嫌う風潮がある。困ったときに他者に気楽に相談できないような空気が蔓延しているように感じられる。何でもかんでも自己責任だと突き放す悪しき風潮が当たり前のようになっている。

生きやすい社会とは、困難な出来事に遭ったときには誰かに頼り頼られ、助け合って困難を克服するような社会であると思う。人生の途上でつまづくことは誰にでもあり得るとお互いに納得して、損得抜きに手を差し伸べることが当然だとされる社会が生きやすい社会である。

 

何らかの理由で人生につまづいたときには最低限の自助努力は必要である。極力他人に迷惑をかけないようにしなければならない。

しかしながら、自分の手に余るような困難に直面したときには、どんどん友人や家族あるいは相談機関等に「迷惑」をかけてもよいはずだ。まずは「生き延びる」ことを最優先に考えるべきなのだ。生き延びることができれば、迷惑をかけた相手に恩返しをする機会もくるだろう。別の誰かから迷惑をかけられて、その相手が生き延びることに手を貸すこともできる。

 

人は弱い生き物である。

人は本来は助け合って、はじめて生きていける。

 

心の片隅に他人に迷惑をかけてもよいとの思いがちょっとだけあれば、かなり生き辛さが軽減される。