希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

僕はどこにでもいるような「その他大勢」の人間である件〈改題・再掲〉

僕はごく平凡な人間である。

かつてはこの事実から目を背け、自分がただの人であることを認めたくなかった。

世の中は「ふつうの人たち」がいることで成り立っている。

このことに気付いてから、肩の力が抜けて生き易くなった。

 

初出 2014/12/6

 

僕は若い頃に自分が一廉の人間であると思い違いをしていた。この社会で「選ばれた」層に属すると勘違いしていたのだ。

自分より学歴が低い人や少々とろい人、社会的威信の低い仕事をしている人を内心で見下していた。

今となっては恥ずかしい限りである。なんと傲慢で無知だったのかと顔から火が出る思いだ。

 

確かにこの世の中には「なくてはならない存在」の人たちがいる。ほんの一握りの選ばれし人たちだ。革新的な事を成したり、社会システムの中枢を担う人たち(政治家や官僚とは限らない)である。もっと範囲を狭めてみると、会社や組織でその人がいなくては運営・維持が覚束なくなるような人たちだ。能力が異常に高かったり、人格が高潔であったりしていわゆる普通の人よりも何歩も秀でた人たちがいる。

そのような優れた人たちが社会を牽引しているのは揺るがない事実である。特に傑出した人たちは「英雄」や「ヒーロー」と呼ばれる。

 

一方、優れた人たちに引っ張られて、自分のなすべきことを何とかこなし続ける「その他大勢」の人たちがいる。

僕は「その他大勢」のうちのひとりである。

僕の言動は殆ど社会に対しての影響力を持たない。僕がもしも今忽然とこの世から消えても、社会は何事もなく以前と同じように回り続ける。

深く考えると溜息しか出ない、この事実。

自分の存在価値を疑ってしまう。

自分は何のために生まれてきたのだろう、生きる意味はあるのだろうか、とドツボに嵌ってしまいかねない。実際、一時期僕はドツボに嵌りかけたことがあった。

 

今は自分が「その他大勢」に過ぎない存在であることを肯定している。「その他大勢」で結構だと開き直っているともいえる。

己の存在意義や生きる意味なんてなくても別にいいんじゃないかと思っている。

僕たちは自分の意志でこの世に生を受けたわけではない。

ただ、生きている、ということだけで十分なのだと思う。

時に他者やこの社会からちょっとだけ認められることがあれば嬉しくて楽しい。

数多のちっぽけな喜びや悲しみを積み重ね、それらに一喜一憂しながら生きているという実感を味わう。それだけでも人生は結構面白い。

 

僕たちは「その他大勢」の中に埋没してしまうことを恐れるきらいがある。

そのために、他者とのほんのささいな差異に敏感になり、差別をしたり排除したりしてしまう。少しでも他者より優位に立ちたいと思ってしまう。

これは人の本能なのかもしれない。そうだとすると、致し方ない面もある。

僕はできるかどうかは分からないけれど、他者とのささいな違いを無理やり見つけて優越感を抱いたり劣等感に苛まれるような心情を克服したいと思っている。

 

「その他大勢」に過ぎない僕でも、人生に彩りを添えるような何かを見つけ、楽しく生きていきたい。