希望の舎―再生編ー

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カネを稼ぐ力と人格は無関係である件〈再掲〉

カネを沢山稼げる人たちを賞賛すると同時にバッシングをすることがある。

人はカネ儲けが上手い人に対して実像以上の何かを求めている。

カネ儲けの才能なんて人が有する才能のうちのほんの一部に過ぎない。

カネ儲けの巧拙によってのみ人を評価することは馬鹿げている。

 

初出 2014/11/29

 

僕は今まで自分にカネを稼ぐ才能があれば、と砂を噛む思いをしてきた。

僕はカネを稼ぐ能力が無い、絶望的なまでに。

僕が自営業・フリーランスのときに厭という程味わった思いだ。ついつい情に流されて単価の安い仕事を請け負ってしまっていた。報酬を上げる駆け引きができなかった。自分のスキルを安く売っていた。こんなんでは儲けることなんてできない。案の定、僕は事務所を畳まざるを得なくなった。

 

僕はカネを稼ぐ能力のある人たちを素直に尊敬する。ただし、モラルのある稼ぎ方に限るが。

ビジネスで成功を収めた人たちは個性的な人が多い。常識では測れないような人もいる。

カネを稼ぐ力があれば、資本主義体制のこの社会では強者となることが出来る。たとえ一度や二度失敗しても、復活することも難しいことではない。

カネを稼ぐ力を身に付けることは、世知辛いこの世の中を渡っていくためには必要不可欠なことである。

 

ただし、気を付けねばならないことがある。

カネを稼ぐ能力とその人の人格は無関係であるということである。あるいはその人のもつ教養や品格とも無関係であるということだ。

高潔な人格者がカネを稼げないこともままあるし、品性が卑しい人が大金持ちなんてこともよくあることだ。

しかし、世間ではこの両者、カネを稼ぐ能力と人格を混同するケースが散見される。

大金持ちを賞賛する一方で守銭奴として蔑む。清貧を通して生きた人を必要以上に持ち上げたりもする。

例えば堀江貴文氏に対するかつての異常なほどの持ち上げぶりとバッシングはその最たるものである。特に堀江氏に対する人格攻撃は常軌を逸していたように思う。

経済的な成功者に対しては、そのカネを稼ぐ力量のみに着目すべきであり、人となりにまでああだこうだと言うのは筋違いである。

カネを稼ぐ能力と人格は別物なのである。

 

また、カネを稼ぐ能力が劣っているからといってその人を全否定するのも間違っている。

カネを稼ぐ能力は人の持つ様々な才能の内のひとつに過ぎない。勉強が出来る、スポーツができる、絵がうまく描けるなどの能力と同じで、それ以上でも以下でもない。

カネを稼ぐ才能を過大評価してはいけないし、また過小評価してもいけないものである。

だから、経済的な成功者の言葉を盲信するような態度は馬鹿げている。その人だから(カネを稼ぐ才能があったから)成功したのであって、猿真似をしても同じような結果は得られないのは火を見るより明らかである。

逆に、その人の人格等を批判しても、空疎なものとなるだけである。ただの妬みや嫉みとなってしまうおそれがある。

経済的な成功者、例えば事業に成功した人を批判するとしたならば、その経営手法や事業の社会的意義などを問うべきである。スポーツ選手や芸能人や芸術家ならば、そのパフォーマンスの内容のみを問うべきなのだ。

 

カネを稼ぐ能力がある人たちと、人格や教養が高い人たちとを同じ土俵に上げることに無理がある。

両者の間に優劣はない。

 

カネを稼げるに越したことはないし、高潔な人格を形成できれば、またそれに越したことはない。

ただそれだけのことである。

 

  

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