希望の舎―再生編ー

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僕が残業を忌み嫌う理由について書いてみる件〈改題・再掲〉

僕が正社員で働いていた頃も残業をして当然という風潮があった。

残業を拒否すると「ダメ社員・職員」という烙印を押された。

こんな不条理に抵抗するために、僕は様々な手段を講じ続け、現在に至っている。

 

初出 2014/11/22

 

僕は今も昔も残業が大嫌いである。

サービス残業なんてもってのほかだし、たとえ全額残業代が支払われたとしても残業はしたくない。

 

僕の父は生前現役で働いているときには滅多に残業をしなかった。毎日定時に帰宅して、夕食は家族3人全員で食べることが当たり前だった。父は晩酌をすることを楽しみにしていて、外に呑みに行くのは忘年会だけだった。

僕は幼少時からこの父の働き方を見て育ったので、仕事は定時に終わるもの、会社の同僚との仕事外での付き合いはしないものという姿勢を知らず知らずのうちに身に付けたのだ。

高校時代、ガールフレンドと話をしていて驚いたことがある。彼女の父親は朝早くに出勤して、帰宅はいつも11時過ぎだということだった。この国のサラリーマンとしては決して珍しいことではないが、僕は父の働き方が普通だと考えていたので、カルチャーショックを受けたことを覚えている。

 

僕は大学を卒業して勤めだした頃から、仕事は人生の一部に過ぎないと働くことについて醒めた目で見ていた節がある。自由に使える時間が、仕事によって侵食されることがたまらなく嫌だったのである。

読書をしたり、映画を観たり、デートをする時間が、つまり自分の楽しみに使う時間が削られることに耐えられなかったのである。今で言う「ワークライフバランス」らしきものであるが、当時はそんな言葉はなかった。その手のことを広言すれば、即「使えない人間」扱いされた、そんな時代であった。今もそのような風潮はほとんど変わってはいない。

 

以前のエントリーでもふれたが、僕は残業の多い部署に配属されたことがある。そこで僕は残業時間の削減に努め、かなり残業時間を少なくしたが、そのことで上司に睨まれたことも書いた。僕はその時点で勤め人がイヤになった。職場に長く居座るために(残業代を稼ぐために)次から次へと仕事を作る同僚や上司を見て、その行動様式に違和感と嫌悪感を覚えた。

 

そもそも労働契約では決められた時間だけ働けばよいはずである。残業はレア・ケースであるはずだ。しかし、実態は通常業務が残業ありきになっている。このことが異常なのである。通常の業務が残業をしなければ回らないというのは、会社のマネジメントがなっていないのである。そのツケを労働者に払わせているのだ。経営者や上司のマネジメント能力の無さによって、残業を強いられ、自分の大切な時間が奪われている。不条理以外の何物でもない。

 

異論のある人も多いとは思うが、僕は必要以上の残業は時間の無駄遣いだとさえ思っている。付き合い残業なんてその最たるものだ。

人の一生の時間は有限である。

有限であるがゆえに「時間」はその一刻一刻が貴重なのである。

僕が残業を嫌うのはその貴重な時間を、たかだか会社の利益追求のために費消されることが馬鹿馬鹿しいと思うからである。残業をすることによって長時間労働となり、その長時間労働によって人間らしい生き方が阻害されるからである。さらには生きる「楽しみ」が奪われかねないからである。

 

僕は「楽しく」生きていくために、これからも残業を拒み続けていく。 

 

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