希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

人の言うことをすべて聞いていたらロクなことにならない件

何事かを決断するときに他人のアドバイスをよく聞くべきだとの言説がよくなされる。

自分ひとりで判断すると偏ったものになるおそれがあるからだ。

組織のリーダーがメンバーの意見に耳を傾けず独断で事を成し遂げようとすると独善的だとのバッシングを受けることがある。話し合いをしろ、人の意見を聞くべきだ、民主的なルールに従えなどなどの批判を浴びることになる。

 

確かに一理ある。

人は全知全能ではない。多くの意見を集約してよりよい結論に導くことは理に適っている。

個人の行いにしても組織の行為にしても独断で行うよりも複数の人たちの意見を聞いた方が良い結果を得られそうだ。

 

僕はひねくれ者の天邪鬼なのでこの考えに同意することはできない。

時と場合によっては、多数派の意見よりもひとりの変わった意見を通した方がよいこともある。

大体において多数派の意見は中庸で差し障りのないものになりがちである。世間の常識に沿ったものになるきらいがある。

僕が公務員を辞めるとき、社会保険労務士として独立しようとしたとき、周囲の人たちの殆どは反対した。僕のケースに限らず、ある人が会社を辞めて独立しようとするときにはおそらく周りの人たちは反対するだろう。その助言は本人のことを慮っての「善意」によるものが殆どである。

この「善意」が曲者なのだ。

自分の価値観を押し付けているだけのことが多い。その価値観は世間の常識に染まった異端を認めないような性質のものだ。

例えば、前述のように会社を辞める云々になると、「世の中は甘くない」「生活はどうするんだ」「失敗したら路頭に迷うぞ」といったような「常識」いや同調圧力のオンパレードとなる。結果としてその人の足を引っ張ることになったりする。

よほどの信念を持たない限り、他者からの同調圧力に負けてしまう。自分のなそうとする行為に関して弱気になり、その思いがぐらつくことになる。

 

僕は自分の経験から、何かをしようとするときには人に相談しないようにしている。失敗しても自分ひとりの責任にしたいからだ。他人の言うことを聞いて、失敗したらその人たちのせいにしたくないからである。人のせいにするのはとても見苦しいと思う。

 

他者の言うことを受け容れて何事も起こらないよりも、自分の考えを押し通して現状を変える方が(失敗するにせよ)よいと僕は思っている。

他人のあるいは世間の価値観に縛られて身動きがとれなくなることを僕は何よりも恐れている。

自分の思うように生きることができないのは面白くないし楽しくない。

 

人の言うことをすべて聞いていたらロクなことにならない。きっと後悔する。

僕はたとえ失敗しても、路頭に迷うようなことになっても、自分の意志を曲げすに押し通すような生き方をしたい。