希望の舎―再生編ー

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「無職」の時を楽しむという件〈再掲〉

無職というとネガティブなイメージがある。

ただ単に現在は仕事をしていない、ということに過ぎない。

少し余裕があれば「無職」の状態を楽しんでも良いと思う。

 

初出 2014/11/1

 

次の仕事が決まらないままに仕事を辞めて無職になると不安な気持ちで一杯になる。

自分がどこにも属していないという不安があり、当然に生活の不安もある。

昼間に外を出歩きブラブラしていると、下手をすれば不審者扱いされかねない。

無職であるということはスティグマを刻印されることになる。

 

この社会では働いていることが当たり前であり、何らかの理由で働かない、あるいは働けない人たちは「まともでない」と見られてしまう。表面に顕れている理由、例えば怪我をしているとか目に見える病気ならばまだ同情はされる。しかし、うつ病のように一見健康と見える状態ならば、「怠けている」「やる気がない」等のレッテルを貼られる。

 

心身ともに働ける状態にあるのならば、働いて当然という同調圧力がのしかかる。

僕は働ける状態にあるのなら、なるべく働いた方が良いとは思っている。それは働くことが当たり前であるとか、勤労は尊いなどといったイデオロギーによるものではない。社会とあるいは他者と何らかの形で繋がっていた方が良いと考えるからである。

人はひとりでは生きていくことができない。

他者と関わりあうことで何とか生き延びることができる。

そのひとつの手段として「働く」のである。

 

しかしながら、僕は無為の時間を過ごすことも大切なのだと思っている。

無職で求職活動以外は何もすることがないという状態は、一見無為の時間を過ごしているように捉えられる。生産的な活動をしていない(しかし消費活動はしている)ということは資本主義体制下では無用の存在かの如く忌み嫌われる。しかし、そのような世間の風当たりに対しては柳の木のようにさらりと受け流せばよい。

仕事をしていないのだから、無職の期間中は時間が有り余っている。無為の時間を貴重な雌伏の時ととらえて、有効活用する方法は幾らでもある。

街へ出て、人々の営みを観察してもよい。例えば喫茶店に入り、一杯のコーヒーで店に居座り、人々の会話に耳を傾けてみるのも一興だ。

家にいるときは読書をする。カネがなければ古本屋やアマゾンで古本を漁って、濫読してみるのも面白い。将来の仕事のためとか、そんなことを考える必要はない。ただ自分にとって面白いかどうかで判断してもよい。きっとその本の内容が自分の血となり肉となる。

 

僕は無職の時を楽しむような気持ちのゆとりをちょっとでも持った方が良いように思う。楽観的になりすぎるのは問題だが、かといって悲観的になることはない。

自分が必要とされる場がきっとあるはずだ。

人生は何とかなるものだ。 

 

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