希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

多くの経営者はすがるものを欲しているという件

僕はこのブログでは労働者側の視点で自分の考えていることを述べることが多い。

僕がずっと搾取される側の人間であることを自覚していたからだ。社労士として自営していた時も、数多く理不尽な思いをしたことがあった。どうしても労働者にシンパシーを感じるのである。

 

しかしながら、社労士をしていたときは経営者も実は孤独で寂しい思いをしている人たちが多いとも実感した。自分のちょっとした判断ミスで従業員とその家族を路頭に迷わせることになるかもしれない。これはかなりのプレッシャーである。真面目で良心的な経営者ほど自分に課された責任を重く受け止めている。

だから、経営者の中の数少なくない人たちは、何かに頼ることになるのだろう。その「何か」とは、宗教であったり、カリスマ的人物であったり、精神世界であったりする。安岡正篤小林正観が今でも人気があるのはそのためである。

 

現在では、京セラの創業者である稲盛和夫氏が経営者の心の拠り所とする人物の代表例であろう。稲盛氏の主宰する盛和塾は大盛況である。

 

実は僕はこの盛和塾に参加していたことがある。以前勤めていた会社の経営者が稲盛氏に心酔していて、僕を名ばかりの役員にして、盛和塾に参加することを強く勧めたからだ。

当時、盛和塾は全国各地で月1回のペースで例会が開かれていて、僕は1年間すべての例会に参加した(というか参加を強制された)。

例会では会員の報告があり、それについて稲盛氏がコメントを出すという方式だった。たまに稲盛氏の講話がある。

僕が参加して感じたことは、実際の経営には直接的には役に立たないというものだった。経営の現実的なノウハウには殆ど触れないからである。精神的な話が大部分であった。しかし、盛和塾の会員たる経営者はそれで満足しているようだった。というか、稲盛氏の言葉をまるで神の言葉のごとく無批判に受け入れているところが、僕には不気味に思えた。宗教やカルトに近い雰囲気があった。

僕が勤めていた会社の経営者もその一人で、会社に稲盛氏の肖像を掲げ、朝礼時には京セラフィロソフィーをまわし読みするほどの熱の入れようだった。

稲盛氏の主張は、働くことは尊いことで、仕事によって人間的に成長すべきであり、労働者意識を捨てて経営者意識を持てということである。これは経営者にとっては誠に都合の良い考え方である。一方、労働者にとってはとてつもなく高いハードルを課せられることになる。

 

京セラについては、ジャーナリストの斉藤貴男氏が「カルト資本主義」と喝破したように、一種独特の経営手法・労務管理によって大発展した会社である。僕は京セラのような会社では絶対に働きたくない。

ただ、矛盾するようだが、稲盛氏の話は結構好きだった。著書も何冊か読んだ(読まされた)が、感動した箇所も多々ある。稲盛氏は生真面目で努力家で真摯な人であり、僕は稲盛氏個人は好きだし、尊敬もしている。

 

さて、経営者が特定の個人に心酔するのは良しとしても、経営の場にその考え方なりを持ち込むのはどうかと思う。ましてやその特定の考え方を従業員に強いるのはもってのほかだ。経営者は気持ち良いかもしれないが、従業員にとってはたまったものではない。

 

経営者は特定の考え方にのみ染まってはいけないし、多彩な人々と付き合うこと、広い分野の知識や教養を身に付けることが必要だと思う。

 

ある考え方を人生の指針として心の内に秘めながら、ビジネスの場の現実に対処し、会社の発展に尽くし、従業員の待遇を良くしていく・・そのような経営者が増えて欲しい、と僕は思っている。