希望の舎―再生編ー

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人が好き、とは言い切れない件〈改題・再掲〉

僕は年々人付き合いが悪くなっている。

多少は「人間嫌い」になっているのかもしれない。

でもおそらくは人間嫌いにはなりきれない。

やはり、面白い人と付き合うのは楽しいからだ。

 

初出 2014/10/12

 

この社会では「人が好き」な人が高評価を得られる風潮がある。人間なんて大嫌いだと広言する人は一部の仕事を除いて殆どの職場では信用を得られない。

産業構造の変化で今は人と接することが多いサービス業が仕事の大半を占めるようになっている。人間嫌いの人たちは働き辛い状況になっている。

 

僕は人間嫌いではない。

かと言って、人が好きだとは言い切れない。

好きな人もいるし嫌いな人もいる、信用できる人もいれば信用できない人もいる、といった程度のものでそれ以上でも以下でもない。

僕が好ましいと思う人や信用できると思う人たちとだけ付き合っていきたい。

肩書や社会的地位などは関係ない。

嫌いな人や苦手な人とも分け隔てなく付き合うのが理想なのだろうが、長くはない人生で無理をしたくはないので、僕にはできそうにない。

 

僕たちは生きていく上で、特に仕事をしていく上で嫌な人たちとも関わりを持っていかなければならない。仕事のストレスで最も大きいのが人間関係だ。時には何でこんな奴と付き合わなければならないのか、とイヤになることもある。すべての人には何らかの美点がある、ということは頭で理解していても、いざ自分の身に降りかかるあれこれの出来事に遭遇してそんな考えは消し飛んでしまう。

 

人は「善」と「悪」の両方の顔を併せ持つものだ。

人はエゴイストであり、利他的な心を持つ。

人は冷酷であり、優しさを持つ。

人は戦闘的であり、協調的でもある。

僕は人を判断するときには、片面だけを取り上げてはならないと思っている。

人とは複雑怪奇な代物であり、多層的・多面的で場面よって様々な顔を覗かせるものなのだ。

 

人の「善」的な面だけを取り上げて、「人が好きだ」と広言するのはいかがなものかと僕は思う。

あまりにも底の浅い、表面的なものではないだろうか。

中には人の持つ善悪両面を受け入れて、人が好きなのだという人がいるが、果たして本当にそうなのだろうか。もし、本当ならば、僕は無条件でそのような人たちを尊敬する。

僕もそのような心境に至りたい。

おそらく、僕にはとてもできないだろうが。

 

僕はこれからもずっと(おそらく一生)「人が好き」などとは言える人間にはなれない。

逆に歳を経るたびに人間嫌いになっている。

それでもいい、と僕は観念している。

一人でも、少しだけでも、好きな人・信用できる人と出会うことができれば、万々歳である。 

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