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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「学ぶ」ことは本当は楽しいという件

僕は小中学校のときは予習・復習を全くしていなかった。さすがに中学校のときは定期テストの前に勉強はしたが、日常的には勉強をする習慣はなかった。

高校に入ると(ローカル進学校だったため)数学と英語だけ予習をするようになった。予習をしないと授業に付いていけなかったためだ。

塾や予備校に通った経験もない。

 

ただ、子どもの頃から「学ぶ」ことは好きだった。学校の勉強は全くしなかったが、百科事典を読むことが大好きな子どもだった。興味のあることがあればー例えば宇宙の話とか歴史とか科学などー百科事典を貪るように読んでいた。それと当時、「学研の学習」「学研の科学」という月刊誌を定期購読していて、それらが届くのをとても楽しみにしていた。

僕の両親はともに大学を出ておらず、勉強をしろと僕に言ったことは全くないような家庭だったが、百科事典や少年少女文学全集を買い与えてくれた。学研の科学と学習にしても決して安いものではなかったと思う。このことについては、両親にとても感謝している。

僕が曲がりなりにも、小中学校でまともな成績を取れ、大学まで進学できたのは「学ぶ」ことが好きになった環境を整えてくれた両親のおかげである。

 

最近の「格差社会」の論議で、格差を生む大きな要因に親の社会階層と子どもの学習環境との間に相関関係があり、子どもの学習環境を整えられない場合に社会の下層(嫌いな言葉だが)になってしまうというものがある。これはリアルだなと、実感している。

 

さて、どうすれば「学ぶ」ことが楽しくなるかであるが、なかなかこれといった解答がないように思う。

僕の場合はたまたまであり、偶然に過ぎない。

 

ひとつ言えることは、強制しても決して人は(特に子どもは)学ぶことを好きにはならない。

親の心情としては、子どもに勉強好きになってもらいところだろう。たいていの親はあの手この手を使って、子どもを勉強にせきたてる。しかし、なかなか親の思う通りにはいかない。

これは当たり前である。

勉強は面白くないということが、子どもの脳にインプットされてしまっているからだ。

 

逆に、勉強が楽しいものならば、間違いなく子どもは勉強好きになる。

その方法として、勉強すること以前に「学ぶ」ことの楽しさを教えたら良いのではないか。

直接に学校の教科につながるものでなくても、身近な事柄について、興味を持つように導く。

塾に通うという前に、近所を散策すれば良いのだ。近場の名所・旧跡を訪ねてもよいし、なければ山や湖や川や池に行ってみれば良い。都市部ならば、博物館や水族館などに行ってみるのもよし。安上がりなレジャーにもなる。

 

学ぶことに大金をかける必要はない。

知恵と工夫で、安価でも効果が上がる手段はいくらでもある。僕の場合の百科事典にしても文学全集にしても、結構高価なものだが、僕はそれらを10年程愛用した。十分に元は取れている。

カネをかけなくても学ぶことが好きになれるとすると、格差社会を生き抜くヒントになるかもしれない。

 

学ぶことが好きになると人生も豊かになると、僕は思っている。

たとえカネは稼げなくても。