世の中は甘くない、とよく言われる。
そんなことはない。甘いこともあるし、甘くないこともある。
精神論が好きなこの国の人たちの世迷言に過ぎない。
初出 2014/9/27
僕はなるべく「楽をして」生きたいと思っている。
僕は「楽しく」生きたいと願っている。
これは偽らざる本音である。
こんなことを誰かに言うと決まって「世の中はそんなに甘くない」という答えが返ってくる。
似た経験をしたことがある人たちは多いのではないだろうか。
この社会で常識的な生き方から逸脱した行動を取ったり、他者と異なる価値観をもって生きていこうとすると大抵ブレーキをかけようとする同調圧力にさらされることになる。
「世の中はそんなに甘くない」等々の言説もそのひとつである。
はっきり言って余計なお世話である。
この手のことを言う大概の人たちは、レールから外れる生き方は厳しいからその人のことを慮っているのだと言う。実は世間のルールに雁字搦めとなった自分と同じ思いをして欲しいだけなのだ。誰かが「自由」になるのを嫉妬し、自分より精神的に楽になることが許せないだけなのだ。
例えば独立意欲の強い人をよってたかって「世の中は甘くない」と大合唱してその芽を摘み取ってしまおうとする。ある人が独立自営の道を歩もうとすればまず友人・知人・親類の「思いやりのある助言」という同調圧力と闘わなければならない。この嫉妬や横並び意識等は実に厄介な代物である。
果たして本当に「世の中は甘くない」のだろうか。
その根拠はどこにあるのだろうか。
僕は「世の中は甘くない」こともあれば「世の中は甘い」こともあるという、ただそれだけのことだと思っている。
世の中なんてちょろいものだと考えて、要領よく社会を泳いでいる人たちなんてごまんといる。
世襲の政治家なんて「世の中を甘く」考えている最たる人種である。
大きな既得権益を持っている層も世の中の甘さを実感しているはずである。
実は「世の中は甘くない」という価値観は、世間のルールやしがらみに従属することを強いるのに便利なものなのである。
異論を封じるための、既存の社会システムから飛び出そうとする人たちを押さえ込もうとする殺し文句でもある。
大小様々な既得権をもつ人たちが己のそれを守ろうとするために、「世間は甘くない」というムードを作ろうとしている。
もしも「世の中が甘い」ものだという認識が広がれば、多くの人たちが既存の価値観においてよしとするもの、例えば下積みや労が多い仕事等、をやらなくなるとの危機感を抱く者たちが存在する。
「世の中は甘くない」という共通認識が浸透した社会の方が何かと都合が良いのである、既得権層にとっては。
また、「世の中は甘くない」というムードは勤勉至上主義や労働至上主義とも親和性がある。
仕事に苦労は付き物であり、その苦労や苦難を乗り越えてこそ一人前の人間となる、仕事は甘くはない、という「労働道」が説かれることになる。
これはもうひとつのイデオロギーである。
「世の中は甘くない」と僕たちはずっと刷り込まれている。それに異を唱えると世間から排除されるおそれがある。
堅苦しい、イヤな世の中だと僕は思う。
世の中なんてちょろいものだ、ということを心の片隅に置いて僕は生きていきたい。