希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

地位や役職、肩書きにこだわるのは自分に自信がないからだという件〈再掲〉

僕もかつては地位や名声を欲していたときがあった。

他の誰かに評価されないと不安で仕方がなかったのだ。

社会的地位や肩書だけで人を判断しないように自分を戒めている。

 

初出 2014/9/23

 

僕たちは肩書きや権威に弱いという面があるのは否定できない。

有名大学の教授が書いた著書だというだけで、その内容を充分に吟味せずに信用してしまう。

有名企業の幹部、役員、経営者だというだけでその人が有能な人だと思い込んでしまう。

有名大学の教授の著書でもトンデモなものが多くあるし、有名企業の社長でも無能な人(朝日新聞東電NHKなど)も多くいるのに、である。

 

仕方のない面もあるが、僕たちは人を肩書や社会的地位で判断することが多い。肩書や役職のない人に対しては、たとえその人が秀でた人であってもネガティヴな評価を下してしまう。

自分の名刺にやたらと訳の分からない団体の役員や顧問の肩書を入れている人たちがいるが、その効用はある程度あるのだろう。僕はちょっとイタいな、と思ってしまうが、その行為を非難したり笑ったりすることはできない。

 

この国の人たちは一般的に他者からの評価を異常に気にしていて、その評価によって自分の立ち位置を定めることが多い。

他者からの評価によって社会的地位や役職やカネを得ることによってはじめて自分に対する信頼が生まれるのである。

そして、その地位や肩書を失うと空虚さに襲われたり、アイデンティティを喪失する人たちがいる。

定年退職後に生気を失くす元サラリーマンの悲哀はよく語られている。

リストラされたサラリーマンが精神に大きなダメージを受けるのは収入を失ったことや今後の生活に不安を覚えることだけではない。やっと手に入れた役職や肩書、社会的地位を失ったことに対する喪失感が心に大きな穴を開けるのである。言い換えれば肩書や社会的地位に裏付けられた「自己」を喪失するのだ。それ故に肩書や役職などにこだわるのである。

 

本当に自分に自信があり、自分を信頼している人たちには役職や肩書は関係ないし通用しない。

そういう人たちは肩書や社会的地位だけでもって他者を判断しない。

別の価値尺度で生きている。

フリーランスや自営で成功するためには、この価値尺度を持つことが重要な要素となる。また、地域社会に溶け込み、その中で役割を見出すこともできる。

 

他者からの評価を気にしない態度や姿勢は、つまるところ肩書や社会的地位にこだわらないオリジナルな生き方が可能になる。

この生き方は現実問題として厳しいものがある。自分の信念を持つ必要もある。丸裸の自分自身を他者に晒すことにもなる。

自分に自信がないとなかなかこのような芸当はできない。

 

僕は肩書や役職を追い求める行為を否定しているのではない。高い社会的地位を得るために仕事に邁進することは良いことだ。仕事の成果を積み重ねることによって高い役職や肩書を得ることができれば、仕事をする上での大きな励みになる。

 

ただ、その肩書や役職にしがみつき、いつまでもそれらにこだわるのはいかがなものかと思っているだけだ。

肩書や役職等で他者を判断し、またそれらによって自分をより良く見せようとしていると、真の人間関係を築く上での障壁になることもある。

ある人が肩書や役職を失った途端に周囲の人が離れていったというのはよく聞く話だ。

最後にものをいうのは、その人の人間的な魅力となる。

 

僕はオリジナルな生き方をしたい。

僕はオリジナルな人となりたい。