希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

人生でつまづくことは誰にでもあるし、悪いことばかりではない件〈再掲〉

順風満帆な人生なんて面白くない。

と、そう思えるようになった。

山あり谷ありの人生で泣き、悲しみ、喜びを積み重ねて人生を全うできればこれに勝る幸せはない。

 

初出 2014/9/20

 

僕たちは順風満帆な人生を送ることを望んでいる。思い悩むことや絶望に瀕するような出来事にはできることならば遭いたくない。自分の思い描いたような人生を全うしたい。

 

絵に描いたように順調に人生を送る人たちもいるが、それはごく一部の運に恵まれた人たちだ。

大半の人たちは大なり小なり障壁にぶち当たりそこで立ち尽くすような経験を持つことになる。

人生の障壁に当たっても、すぐに乗り越えられる人もいるし、なかなか乗り越えられずに状況をこじらせる人たちもいる。

後者の状況をこじらせた場合に、人生に「つまづいた」と感じることになる。

例えば仕事について考えてみると、リストラや会社の倒産に遭ったときに割合に早く転職先が見つかったときには、障壁に当たったが乗り越えられたことになる。なかなか再就職先が見つからなかったり、待遇の悪い職に就かざるを得なかったり、職を転々としたりして不安定な状態が続いたりしたときにはつまづいたことになる。

 

人生に「つまづく」と、人は自分を信じることができなくなることが多い。自分は劣った人間であるとか、無能であるとか、自分を卑下しがちになる。この社会に自分の「居場所」なんかないんじゃないかと悲観的な気持ちになったりもする。

他の人たちは順調にいっているのに、自分だけが取り残されていると孤独感に苛まれてしまう。

 

自分だけが特別なのではない。

誰もが人生につまづく可能性があるとの考え方をもつことが大切だ。

つまづくことのない人生なんてレアケースであり、つまづいて当然だとある意味開き直ることが必要なのである。

人生につまづくのは、能力が足りないからではない。根性がないからでもなく、弱いからでもない。殆どは「運」によるものだ。

運の良いときもあれば悪いときもある。

たまたま運が悪いときにつまづいただけなのだ。

今度は運が上向いてつまづきから立ち直れるはずだと楽観的に物事をとらえる態度も必要だ。

もちろん運頼りになってはならない。

つまづく元となった現実的な要因を理解することも大切なことだ。こじらせた状況の中でもがき苦しむことも必要だ。そうこうしているうちに一筋の光明が見つかる。その光明に向かって歩き出すことで、立ち直るきっかけが見つかるものだと思う。

いつまでも運が悪いままのはずはない。

その光明は運が良くなることの兆しである。

 

人生につまづくのは自己責任の部分もあるし、どうしようもない運命のいたずら的な部分もある。

忘れてはならないのは、すべてが自己責任ではないということだ。人生につまづいたときに、すべてが自分が悪いなどと考えないことだ。

 

僕は何度も人生につまづいてきた。

その度に自分は何者かと考え、人生とは不可思議なものだと思い知らされた。そして少しばかりの生きる「知恵」を授かってきた。

 

人生につまづくのは悪いことばかりではない。

自分がいかに他者に支えられてきたのかを知るきっかけとなる。

自分の傲慢さを思い知るきっかけとなる。

自省するきっかけにもなる。

 

たとえ人生につまづいても、さらには状況をこじらせても、人は誰しもそれを克服する力を持っている。

そして、人生につまづく前よりもほんの少しだけ違った自分がいるはずだ。