希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

仕事にやりがいや生きがいがなくてもよい件〈再掲〉

仕事に対して過度な期待を持たない方がよいと僕は思っている。

仕事の中に生きがいを見出すことは悪いことではない。

やりがいのある仕事に就ければそれに越したことはない。

しかし、仕事だけの人生なんて面白くない。

 

初出 2014/9/9

 

僕はこのブログで何度も労働至上主義的な考え方や勤勉が尊ばれる風潮に異議を唱えてきた。

仕事=人生なんて絶対に思わないし、勤勉が美徳という考え方は近代以降に生まれたイデオロギーに過ぎない。

たかがひとつのイデオロギーに大多数の人たちは洗脳されているというのは言い過ぎだろうか。

 

このイデオロギーから派生したものに仕事にやりがいがなければならない、仕事に生きがいを感じなければならないというドグマがある。

その人の人生は仕事によって決まるという考え方である。

やりがいのある仕事をし続けることによって良い人生を送ることができる、仕事に生きがいを見出してこそ立派な社会人であるという偏った考え方である。

確かにやりがいのある仕事に巡り会い、充実した人生を送る人たちもいるが、それはほんの一部の人たちである。恵まれた人たちである。レアケースだと言ってもよい。その例外的な事例をスタンダードにすることは馬鹿げているし、いわゆる普通の人たちにそれを強いるのはナンセンス極まりない。

殆どの人たちは生活のために働いている。やりがいや生きがいなんてものは二の次なのだ。そのような人たちに対して向上心がないとか前向きでないとか言う人がいるが、それは自称識者の妄言に過ぎない。識者と称する人たちは高学歴で有名企業や官庁勤務の経歴を持つ者が多い。彼ら彼女らの偏った価値観に基づく言動に踊らされてはならない。所詮は環境に恵まれた者の戯言だと突き放して見る態度が必要である。

 

やりがいや生きがいが感じられない日々のルーティンワークではあっても、それぞれの仕事をこなしていくうちに「面白み」を感じることがある。小さな創意工夫を積み重ねたり、他者とのかかわりの中で喜びを見つけることなどに面白みを見出すこともままある。

それで十分ではないか、と僕は思っている。

仕事に生きがいややりがいを見つけるべきだというタチの悪いイデオロギーに引っ張られることなどない。

労働至上主義や勤勉が尊いというイデオロギーに疑いを持つ態度も必要である。

 

仕事にやりがいや生きがいを感じなくても、幸せな日々を送ることはできる。

自分の趣味に没頭してもよいし、ボランティアなどの社会活動に励んでもよい。

人生における「楽しみ」なんか、仕事以外のあちらこちらに多く存在している。

馬車馬のように働き続けて、そこそこの物質的豊かさを得ることが楽しいことなのだろうか。

大切な「時間」の浪費になってしまっているのではないか。

自明とされている価値観に縛られすぎていないかを自分自身に問い直してみてもよいのではないか。

 

極論となるが、仕事は人生の暇つぶしという考え方も面白いのではないかと思う。

 

人生とは「大いなる暇つぶし」なのかもしれない。