希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

僕はあらゆるイデオロギーを信じていない件

僕はこのブログで貧困問題や労働問題を取り上げている。だからか僕のことを「サヨク」だと思っている人が少なからず存在する。

僕は特定の政党を支持していないし、特定の政治思想を信奉しているわけでもない。あえて言えば、欧州の社会民主主義の考え方に近い。中道左派だともいえる。資本主義体制に懐疑的ではあるが、それを転覆するような考え方は否定する。

要はできるかぎり個人の自由が認められ、一定水準以上の生活が保障され、ゆとりのある生活ができればよいのである。具体的には労働者の待遇・労働環境を向上し、どのような仕事でも働いていれば余裕のある生活を営むことができるようになることである。同時に失業や病気等で職を失っても、一定レベルの生活が保障される社会を望んでいる。

 

そもそも僕はあらゆるイデオロギーを信じてはいない。マルクス・レーニン主義国家主義民族主義等々「右」も「左」も関係ない。

民主主義や人権も普遍的な真理だとは思っていない。民主主義も人権思想も数あるイデオロギーのひとつに過ぎないと思っている。だから、民主主義や人権を金科玉条にした運動等には大いなる違和感を覚える。民主主義や人権は絶対的な価値のあるものではない。その「仕組み」や「考え方」が使い勝手の良いものだから、相対的に上位価値になっているものだと捉えている。自分の生活を向上するために便利な道具だから使っているのである。

それゆえに、人権や民主主義を錦の御旗にして他国を侵略するような国(アメリカを筆頭に)に対しては、何と傲慢な奴らだろう、何と能天気な奴らだろうと冷ややかな眼で見ている。

 

僕はイデオロギーを信じていないが、自分なりの信条らしきものはある。それは「庶民的リアリズム」とでも呼べる色合いのものである。

貧困問題にあれこれ物申すのは、人として当たり前の生活は誰にでも保障されるべきだと考えるからである。たとえ仕事がなくても、心身の病気や障害があっても、引きこもりだろうとまともに生きさせろと真に思っているからだ。また、カネのあるなしで人の価値を決めるな、と思っているからである。

労働問題に関心を寄せるのは、働いてる人たちの生活を壊すような働かせ方は絶対におかしいと思っているからだ。会社や経営者ばかりが肥え太るのは間違っているし、儲けの分け前を労働者に寄こせと言いたいだけだ。

決して人権というイデオロギーに基づいてのものではない。

 

僕はこれからもずっと「庶民的リアリズム」を持ち続けていこうと思っている。

もしも、現体制に物申すなら、高邁に見えるイデオロギーではなく、僕なりの「庶民的リアリズム」を押し立てていきたい。