希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

殆どの人は貧乏人である件

貧乏人とは低収入で日々の生活にも困っている人たちを指すと一般的にとらえられている。

いわゆる普通以上の(中流以上と言い換えてもよい)人たちは自分が貧乏だとは考えていない。そこそこ収入もあり、大概の買いたいものは買える。正社員や公務員であれば、安定した身分だと自負している。リストラや倒産は他人事として遠い世界の話だと考えている人たちが多数である。

 

しかしながら、大きな枠組みで捉えると圧倒的多数の人たちは貧乏人なのである。

殆どの「中流」の人たちは働く場を失えば遅かれ早かれ生活に困る事態に陥る。本当の金持ちとは働かなくても物質的・経済的に余裕を持って過ごせる人たちのことである。

自分の家を住宅ローンという借金でしか買えないということは、貧乏人の証なのである。本当のカネ持ちは一括して現金で家を何軒も買える。

 

正社員、たとえ有名企業のエリートサラリーマンといえども「賃労働」に従事する「労働者」に過ぎない。会社や役所を追い出されて仕事を失えば路頭に迷うかもしれない、不安定なものなのだ。

すなわち、働き続けなければ生活を維持できないという自転車操業をずっとやり続けなければならない。これのどこが豊かでカネ持ちなのだろうか。

ちょっとばかり有名な会社の正社員であるとか、公務員であるとかで優越感を持ち、自分は「勝ち組」だと勘違いしているのは実に馬鹿げたことなのである。非正規雇用フリーターニートを見下す行為は愚かなこと以外の何物でもない。

エスタブリッシュメントからすると、会社に生殺与奪を握られている正社員も不安定な非正規雇用も似たり寄ったりなのである。

本当の「勝ち組」やエスタブリッシュメントにとって、正社員と非正規雇用の人たちの間の「身分差」や確執などはコップの中でのさざ波程度のものでしかない。

 

多くの「中流」の人たちは自分が貧乏人だとは認めなくない心情を有している。どれだけ働いても会社に尽くしても自分が「貧乏人」のままであるとすると、自分の存在意義を疑ってしまうからだ。

厳然とした事実を認めたくないのである。

例えば自分の家を一括現金払いで買えないのは貧乏人であるという事実を。

一見中流と目される人たちでも、自分は所詮は貧乏人であると開き直って、楽しく人生を送ることができれば救いがある。

中には往生際の悪い人たちがいる。

エスタブリッシュメントの走狗となって既存の社会システム・既得権益を守ることに執心したり、「虎の威を借る狐」の如くちっぽけな権力を後生大事に抱え込む輩はまさに往生際が悪いし、正真正銘の大バカ者である。

 

貧乏人であることを卑下することはない。

貧乏人であることを誇っても良い。

もっともっと貧乏人がのさばる世の中になれば、痛快で面白い。