希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

貧困問題の解決のためには対症療法が必要である件

現在の医療は対症療法がメインとなっている。

まずは表に出ている症状に対して即効性のある治療を行うのである。そして、症状が落ち着いてから食事療法など生活習慣を改善する方向に導く。

対症療法が優先される西洋医学的手法に批判もあるが、まずは症状の撲滅・軽減を図る治療法を否定することは現実的ではない。

 

同様のことが貧困問題についても言えるのではないだろうか。

貧困は主に社会構造の歪みによって生ずるものである。社会における矛盾・不条理が表出したもののひとつが貧困である。本人の能力や意欲の無さ等に責任を押し付けようとする輩もいるが、自己責任論で片付くような問題ではない。

 

貧困問題の解決のためには、当然に既存の社会システムを変革する必要がある。社会保障制度の拡充や地域コミュニティの再生や労働環境の改善など幅広い施策が求められる。そのためには数多くの法令の作成や改正が必要となる。国民のコンセンサスを得ることも必要である。となれば、かなりの時間を要することになる。

 

今世の中には生活に困窮し、明日さえ見えぬ状況に置かれている人たちが多くいる。それらの人たちは「待ったなし」の状態である。

社会システムの変革は是非とも必要であるが、それらの人たちには悠長なことは言ってられない。

まずは、困窮した状態から脱するように手立てを講じなければならない。現行の制度を用いて、具体的にはまずは生活保護を受けるように仕向けなければならない。そこから職業訓練を受けるなり、就職活動の支援をするなりして自活の道を探ることになる。

生活に困窮している人たちひとりひとりの生活を安定させることが先決なのである。いわば、対症療法的な手当てが絶対に必要なのである。

生活保護受給者を増やしても、貧困問題の解決にならない、としたり顔で批判する自称有識者や一部のバカ政治家がいるが、何よりも「命」を守ることが重要なのは火を見るより明らかだ。

餓死者や病気に倒れる人が増えても、それを見て見ぬふりをして財政状況がどうのだの制度がどうのだのなどとほざいている輩がいる。政治家や官僚だけでなく、「市民」もその片棒を担いでいる。一部のエスタブリッシュメントや富裕層を除いて、誰もが貧困に陥る可能性があることを想像できない人が多すぎる。貧困は一部の「特殊」な人たちの問題だと切り捨てているのだ。

 

確かに対症療法のみでは構造的な問題の解決には至らない。だからといって「対症療法」そのものを否定する根拠にはならない。

生命の危険に晒された人たちに対しては、何よりもまず「対症療法」を施し、生きる力を甦らせることが肝要なのである。

 

人がより良く生きようとすることを阻むことは誰にも許されない。

それは、人として最も恥ずべき行為である。