当たり前の話だが労働者は生きた人間である。
人としての尊厳があり、誇りがある。
経営者はこの当然のことを忘れている。
初出 2014/7/12
賃労働によって生計を成り立たせている労働者が社会のマジョリティになったのは遠い昔の話ではない。資本主義体制が確立して以降のことである。
経済学(特にマルクス経済学)では労働力もひとつの商品として捉えている。
人はそれぞれに個性がありライフヒストリーがあってひとりひとりはかけがえのない存在である。しかし、労働力は代替可能なものであって、そこに矛盾が生じてくる。労働による人間疎外という現象が起きるのだ。
マクロな視点で見ると経済学の考え方は合理性はある。資本主義の本質は私企業の利潤追求にあり、効率性や合理性が求められ、ひとりひとりの労働者の個性や事情などいちいち構ってはいられない。
しかし、ミクロな視点からみると企業の利潤は労働者の働きによってもたらされるのであって、労働者に対する処遇は「人間的」なもの「人間らしい生活」を保障するものでなくてはならない。
労働者が余裕のある生活が可能な程度の賃金を保障し、労働を継続できるための休日・休暇・休息を無条件に与える必要がある。
これらは資本主義体制を維持するための必要最低条件である。
労働者は確かに代替可能な商品という側面をもつ。労働力の提供という手段が唯一の生計維持の方法である労働者にとって、代替可能という性質が前面に出てくると生存を脅かされることになる。そのために労働者は連帯して団結して労働組合を結成し、労働条件の向上を図るとともに、この代替可能性という面を回避しようとしてきた。
現在の労働環境は労働力の代替可能性を強く前面に押し出してきているように感じられる。顕著なケースが非正規雇用、パートや派遣で雇用される労働者の増大である。人件費の削減や業務の繁閑に対応できるように、簡単にクビを切れる労働者を経営側は強く望んでいる。
正社員にしても、解雇規制の緩和を常に画策している。
ちなみに僕は解雇規制の緩和については全面的に反対しているわけではない。一定程度の労働条件が保たれた上でかつ労働市場の流動性が高い状況という条件での解雇規制の緩和はなされてもよいと考えている。
話を戻そう。
労働者は経営者にとっての都合の良い使い捨ての駒ではない。
会社の利益のためならば非人間的な処遇をしても許されるという考え方は決して是認できるものではない。
労働者はひとりひとりにその生活があり人生がある。労働者が精神的にも物質的にも余裕のある生活が送れることによって、はじめてこの世の中が成り立つのだと今一度認識を改める必要がある。
労働者の生活や人生を踏みにじることによってしか経営を維持できない会社は即刻市場から排除すべきである。人件費を「コスト」だと一面的にとらえ、人件費を削減することによって一時的に利益を上げても、その会社は遅かれ早かれ破綻する。
人件費は「投資」なのである。
働く人たちを使い捨ての商品だと考えている経営者や会社は、人の持つ奥深さに、あるいは人に対する畏敬を欠いている底の浅い人間観しか持っていない軽薄な人たちなのだ。
浅はかな者たちに人生を左右されるいわれはない、という気概を僕たちは抵抗手段として持つべきときが来ている。