僕は幾度もこのブログで非正規雇用の人たちの処遇を良くしろ、正社員のレベルに近づけるべきだと主張してきた。同じような仕事内容なのに非正規雇用というだけで劣悪な待遇に甘んじることを強いるのは不合理だと述べてきた。
この僕の主張に対して、非正規雇用の人たちが低賃金で待遇が悪いのは「誰にでもできる仕事」だから仕方がないという反論がある。
この論は主に2つの点において誤っている。
ひとつは非正規雇用の人が従事する仕事は確かに単純労働も多いが、正社員と同じ仕事をこなしている人たちもまた多いのが実情である。同じように「誰にでもできる仕事」をしている正社員と非正規雇用の人たちの間に待遇の格差があるのは不合理である。
ふたつめはそもそも「誰にでもできる仕事」だからといってその仕事の価値が低く低賃金であることが当然だという前提が誤っている。
僕が公務員のときに従事していた仕事は誰にでもできる類のものであったが、非正規雇用の人に比べると遥かに高待遇だった。
世の中の数多ある仕事で特殊な才能やスキルを要するものはほんのごく一部である。殆どの仕事は「誰にでもできる仕事」なのである。
一見難しそうに見える多くのホワイトカラー的な仕事も、ある程度の研修やOJTや経験を積むことによってこなすことができるようになる。技術職や研究職も同様である。ただ、その仕事(あるいは職場)に対する向き不向きがあるに過ぎない。
確かに仕事によっては、一定の学歴や資格が必要になるものもある。しかし、その仕事自体は「誰にでもできる仕事」であることが多い。
僕がかつて生業にしていた社会保険労務士の仕事も誰にでもできるものであった。また、業務に付随して決算書の作成を手伝ったり登記関連の業務をしたこともあるが(無報酬である)、これらは税理士や司法書士の専門領域である。素人の僕にもそれなりに業務を行うことが出来たのである。
僕は取り立てて優秀な人間ではない。
いわば普通の人間でも「専門的」な業務をある程度遂行できるのである。
「誰にでも出来る仕事」だから賃金は低くて当たり前だという考え方は会社・経営側が一方的に押し付ける考え方に過ぎない。人件費を削って会社の利益(株主の利益)を独り占めにしようとする強欲さの表れなのである。
労働者は「誰にでもできる仕事」であるにせよ、その仕事を着実に行い、創意工夫してより一層の仕事の成果を高めているのである。
「誰にでもできる仕事」の積み重ねが会社の利益をもたらし、株主への配当をもたらし、高額な役員報酬の原資になっていることを忘れてはならない。この事実を忘却しているバカな経営者が多すぎる。
「誰にでもできる仕事」を日々黙々とこなす正社員(非根幹的な業務に就いている)や非正規雇用の社員の待遇を劣化させてはならない。
また、代替可能なあるいはすぐにでも切り捨て可能な存在としてはならない。
「誰にでもできる仕事」をしている人たちがこの社会を支えている。