武士が政権を掌握していたときには常に質素倹約が美徳とされていた(豊臣秀吉は例外)。
著名な経営者や創業者にも質素倹約を旨としていた人も多い。
質素倹約とケチとは全く違うものである。
初出 2014/7/5
僕は物欲が殆どない(本は除く)。
どうしても手に入れたいという物が思い付かないのだ。最近買ったものといえば、ユニクロで購入したポロシャツ(しかも値下げ品)、ネット通販で購入したドライTシャツ(激安品)くらいのものである。両方とも必要に迫られて買ったものだ。
ポロシャツは夏の時期の普段着としても必要だし、通勤着としても必要なものだから購入した。今まで着ていたポロシャツが2,3着ボロボロになったのでそれを捨てざるを得なくなり、補充のために買ったわけだ。ドライTシャツは仕事で必要(入浴介助のときに着る)だから、これも必要品だから購入した。
値段は安い品物ではあるが、買物は結構楽しい。1円でも安く良いものを買おうとあれこれ考えるのもいとをかしである。
僕はそこそこ稼いでいる時も物欲はあまりなかった。ただ「衣装道楽」の面があり、衣服だけにはカネを注ぎ込んでいた。当時流行ったDCブランドの服ばかり買っていて、ポイントカードでノベリティ・グッズを幾つもゲットするほどの額だった。今から考えると無茶苦茶高かった。ポロシャツもチノパンも1万円前後の値段だったし、スーツに至っては10万円近くした。
こう考えるとユニクロ(その他のファストファッション)様様である。ビンボー人の僕にとってはなくてはならない存在である。ユニクロはブラック企業だとの風評があるが、「消費者」にとってはありがたい会社である。
余分な支出を削ると、必要生活費も当然下がってくる。そうなると、働いて稼がなくてはならない給料の額もおのずと下がってくる。無理に稼ぐ必要がなくなるのだ。
住宅ローン・家賃、自動車、衣服、食費などの支出を抑えることで、奴隷労働をしなくても済むようになる、極端な言い方をすれば。
無理して長期のローンを組んでまで持ち家にこだわる必要があるのかとことん考えてみる。
本当に自動車が必要なのか、生活に支障が出るのかじっくりと考えてみる。公共交通機関が未発達の地域では必要となるだろうが、その際には軽自動車でも事足りる。
ブランド品の衣服を買う必要性を考えてみる。
住む家にしても自動車、衣服にしても単なる「見栄」や「世間体」で高額の支出をしているのならば、今一度見直すことを要するのではないだろうか。
人の欲望というものはきりがなくて厄介なものである。見栄や世間体にしても、他者よりも秀でて見られたい、世間並みにしたいという人の欲望の本性に根ざしているものだからこれらを断ち切ることは難しい。この本性を突かれて、消費を煽られてしまうのが、悲しいかな「普通の人」たちなのである。
ただ、支出を削り、質素倹約に励むだけでは生活に張り合いがなくなることも事実である。
時には身の丈にあった贅沢も必要である。
自分のこだわりの部分にのみカネを使う「一点豪華主義」的な贅沢をすることもひとつの手だと思う。何もこの一点が高額なものであるとは限らない。
僕の場合は大好きなコーヒーを一点としている。
なるべくチェーン店のカフェに入らずに、値段は少々高くても雰囲気が良くて美味しいコーヒーを飲むことができる喫茶店を使うことにしている。そのような喫茶店で煙草を燻らせ、読書をすることが、僕にとって至上の幸福のひとときとなる。
余分な支出を削って質素倹約に励むことによって、自分にとって豊かな生活とは何か、を考えるきっかけになることもある。
消費を煽られて物欲に捉われて、その欲望を満たすために馬車馬のように働くことが果たして豊かな生活なのか、今一度自分自身に問い直すことも大切なのではと僕は思う。