希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

時には人に甘えてもよい件

僕たちは常に「自立」を求められている。

生活費のすべてを自分で稼ぎ、結婚すれば配偶者や子どもの生活費をも賄わなければならない。

人に頼らず、自分の力のみでこの世知辛い世の中を渡っていくことが当然のこととされている。

 

もしもアクシデントに遭ったときに(例えば失業や病気等)安易に国や自治体に頼るような態度は非難される。親族や友人に頼るのも、切羽詰った状況になってはじめて是認される。

仕事にすぐに就けないような程度で生活保護を受給するのは憚られる風潮がこの社会には根強く蔓延っている。生活保護を受けるなんて「甘えている」と非難されるのだ。

雇用保険が受給できたとしても、再就職を急かされて、良好な労働条件の職場を探していると「仕事を選んでいる場合か」と叱咤される。

「自立」していない人間は一人前ではない、あるいは極端な場合には人間のクズ扱いされる。

 

僕は以前のエントリーで完全に「自立」している人なんて殆どいないし、「自立」など幻想に過ぎないと語ってみた。

正社員のサラリーマンは会社に依存して頼り切っている。会社ありきで生活を成り立たせていることが本当に自立しているといえるのか甚だ疑問である。

 

人生に行き詰まり、途方に暮れている人たちに「自分の力で何とかしろ」と必要以上の自助努力を促すのは、人としての品位に欠ける態度だと僕は思う。

確かに自助努力は必要である。しかし、その自助努力ができない状況に陥ることだって起こり得ることだ。その位の想像力は持つべきである。

人生につまづいた人たちに対して、他者や国に頼ることは甘えだと突き放す態度はあまりにも冷たいし人でなしである。

 

それほど自分以外の何者かに頼るのは悪いことなのだろうか。

「甘え」なのだろうか。

そもそも誰かに「甘える」のはそれほど悪なのだろうか。

他者に頼り切りで甘えっ放しなのは確かに良くないことだ。その人の将来のためにも良くない。

しかし、時と場合によっては他者に「甘える」ことも許容すべきなのではないかと思う。

人はひとりでは生きていけない。

お互いに助け合って、はじめてこの社会で何とか生きていける程に人は弱い生き物なのだ。

余力のある者が困っている者を助けて、もし自分が困難な状況に陥ったときにはまた誰かに助けてもらう。

人類の歴史で脈々と受け継がれてきたこの営みを断絶させるような現代のこの社会の風潮こそがおかしいのである。

 

僕たちは困ったときには誰かに甘えてもよい。

誰かが困っているときには、自分の出来る範囲で手を差し伸べる。見返りがあろうとなかろうと。

この当たり前のことが、当たり前になされる社会が生きやすい社会である。

 

僕は誰かからの「甘え」を抵抗なく受け入れられるような人になりたい。