希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

時には会社を潰す覚悟をもって労働者は要求することも必要だという件〈再掲〉

僕も含めてだが、この国の労働者は大人しすぎると思う。

こんなに抑圧され、搾取され、劣悪な労働条件を強いられていても大多数の人たちはそれを甘んじて受け入れている。

革命はゴメンだが、今置かれた状況を打破するために声を上げるべきである。

 

初出 2014/6/28

 

近年労働環境の劣化が問題となっている。

過労死過労自殺・長時間労働・パワハラ・追い出し部屋・低賃金・非正規雇用の増加等々数え上げればキリがない。

経済が成長している時期にも過労死や長時間労働が問題となっていたが、現在のそれとは質が異なっている。一言でいえば「希望」がないのだ。少々労働条件が悪くても、先々明るい兆しがあれば労働者も頑張れるのだが、閉塞した状況では頑張りが徒労に終わってしまう。なのに、経営者は労働者に対して一層の労働強化を押し付け、会社への深いコミットメントを求めてくる。

 

本来ならば、まともな労働組合が多数の労働者を組織して労働者の権利を経営者に認めさせなければならない。具体的に個別の労働条件の改善を交渉し、成果を勝ち取らなければならない。労働者の安定した生活の保障や生存権の保障を確たるものにすることが労働組合の存在意義である。

今の労組は殆どが正社員の既得権を守ることに汲々としている。非正規雇用の労働者を排除している労組が大多数である。会社側の意を汲むことばかりに終始している労組も多い。会社が押し付けるリストラに抗うことのできない労組など存在する意味があるのか疑問に思う。

 

労働者が自身の「労働者性」を忘れてしまっている。待遇改善や労働条件の引き上げは労働者自らの手でなすべきことだということを忘れている。

かつての労働運動のように社会体制の変革を求めるようなイデオロギー闘争はいかがなものかとは思う。しかし、「生存」のための労働運動は経営者の強欲やエゴがまかり通っている今こそ絶対に必要なものだ。

会社の経営状況など無視しても構わない。少しばかりの人件費が上がった程度で潰れるような会社には元々将来性がなく、市場から遅かれ早かれ退場する運命にあるのだ。労働者を酷使し搾取して経営が成り立っている会社など社会には不要な存在だと割り切る態度も時には必要である。

労働者が大人しくなり、物分りがよくなったので会社・経営者側は図に乗ってやりたい放題のことをしている。既存の労組の上層部は、経営者の会社が傾いても良いのかという脅しに屈している。いわゆる労働貴族は会社あってのものだから、会社や経営者相手に強く要求できない。

 

労働者や労組の最も効果的な対抗手段はストライキである。今はストライキは滅多に行われない。ストライキは労働者のエゴだ、わがままだという風潮が蔓延っている。ストによってサービスがストップすると「消費者」はクレームをつける。消費者の大多数が「労働者」であり、ストを忌避する態度はそのまま自分の身にふりかかってくることを想像できないのだ。少々ある会社のサービスがストップしても社会は回っていく。

例えば電鉄会社がストを行っても、別の会社を利用するとかタクシーやバスを利用すれば済むし、何ならストの日は仕事を休めば良いのだ。そのくらいの柔軟性やゆるさが社会にないと息が詰まってしまう。ストライキは労働者に与えられた当たり前の権利だと、今一度認識することが必要である。

 

労働者が団結し連帯することは、会社の横暴を抑止する最も有効な方法である。

労働者は団体で交渉することによって、はじめて経営者と同じ土俵に立てる。個人では潰されてしまうのが厳然たる事実である。

 

自らの生活を守るために強く要求をすることは誰にも非難されるいわれもないし、全く正当な行為である。

忘れかけている労働者意識を取り戻し、会社や経営者の横暴に立ち向かう姿勢を見せることが、労働運動(あるいは社会運動)の復権につながっていくと僕は思っている。