希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

解雇規制について考えてみる件〈再掲〉

僕は解雇規制の緩和論者に近い考えを持っている。

ただし、労働市場の流動化とセーフティネットの拡充が前提となる。

正社員を必要以上に保護する必要はないし、非正規雇用でも安定した生活を営める社会を目指すべきだと思う。

 

初出 2014/6/26

 

以前から解雇規制の緩和についての議論が続いている。

経営側の言い分は厳しいといわれているこの国の解雇規制を緩和して、雇用の流動化を促進すべきというものである。

労働者側の言い分は解雇規制を緩めると、恣意的な解雇が増え、労働者の立場が不安定なものになるというものだ。

両者の言い分には一理ある。

労使の片方のみの利益に偏ることなく、整合性の取れた解雇基準を定めることが大切なのは言うまでもない。

解雇規制の緩和という問題は労働関係だけではなく、社会保障少子高齢化・ライフワークバランス・人の生き方にも関わる重要問題である。

 

僕は整理解雇の基準は従来のままで普通解雇(指名解雇)の規制を緩めるべきだと考えている。

整理解雇に至るほどの経営不振を招いた理由は、経営陣の戦略の誤り・不作為・無能さ等によるものであり、労働者の責任ではない。この場合に帰責事由のない労働者の職を奪うことは本来は許されるものではない。しかしながら、放置しておけば会社が倒産しすべての社員が職を失うことになる。そのためには解雇基準を厳格にした上での一部の社員を解雇することはやむを得ない。

一方、労働者に責を問うべき普通解雇については従来の基準を緩めても良いと思われる。労働者を解雇するためには「合理的な理由」が必要である。これは労働契約法にも明記され、確立した判例でもある。合理的理由のない恣意的な解雇はすべて不当解雇になる。ただ、この「合理的」という判断基準は曖昧さが伴う厄介なものである。会社にとって合理的なものでも労働者にとってはそうでないことが多い。

そこで会社がある労働者に合理的な理由があるとして解雇しようとする際に労働者が合意しないときには、「金銭解決」のルールを設定することも考えるべきだと思う。ここでの合理的理由には、明らかに労働者に責任がある事由(就業規則に定められた懲戒解雇に該当)は含まれない。労働者の適性や能力不足等といった理由による解雇のケースである。例えば部署を数箇所変えても業務遂行能力が普通の社員よりも劣る場合である。

このようなケースは会社だけでなくその労働者にとっても不幸である。労働者の適性がその会社にマッチしていないのに働き続けるのは得策ではない。また、その労働者を採用し、働かせ続けた会社の責任もある。

そこで金銭的な解決により、解雇を正当なものにするのである。解雇補償は勤続年数に応じて最低保障額を定めておく。例えば勤続5年以上で基本給+固定手当の12ヶ月分、10年以上で24ヶ月分、20年以上で36ヶ月分というように。

もちろん、解雇補償を支払ったからと言って不当解雇が認められるわけではない。不当解雇に対しては、解決金に加えて損害賠償支払義務を会社に課すようにルールを定める必要がある。

現在議論されている「限定正社員」の処遇についてであるが、その人たちの職場が事業不振等により閉鎖された場合は「合理的な理由」がある解雇として認め、金銭解決により対処できるようにする。できれば、無期雇用の非正規雇用の社員にも限定正社員に準じた取り扱いをルール化する必要がある。

 

僕は多様な働き方や生き方ができる社会を望んでいる。

解雇規制の緩和、金銭解決のルール化のみでは雇用の流動化は図れない。雇用保険の給付の拡充や年功賃金・終身雇用のあり方も問われなければならない。非正規雇用でも安定した生活が営めるようにしなければならない。また、子どもの教育費や住宅費の負担軽減を社会政策として捉えなければならない。

何より正社員としての働き方のみが真っ当なものであるという社会のコンセンサスが変容しなければならない。

 

これまで当たり前とされてきて、なかなか変われなかった「雇用」の常識の壁を突破する糸口として、解雇規制のあり方を考えるべきだと僕は思っている。