希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

最後のセーフティネットが刑務所であるという悲劇が現実である件

刑務所で服役している人たちはどういった人たちなのであろうか。強盗や殺人を犯した凶悪な人たちで、中には肌に彫り物をしていたり、指が何本が欠損していたり、とそんな想像をついついしてしまう。

刑務所に服役している人たちの多数は窃盗・万引き等の軽犯罪を犯した人たちである。再犯者も多いらしい。

僕たちは万引きや窃盗を繰り返す人を「手癖が悪い」人として本人の資質や性格に原因を帰せがちである。確かにそういった面も少しはあるかもしれない。他人の物を盗むことに快感を覚える人もいるかもしれない。

しかし、窃盗などの罪を犯した人の大多数はその動機・原因が貧困によるものなのである。言い換えれば、社会構造の歪みに原因があるのだ。

 

刑期を終えた人がまた犯罪を、多くは万引きや窃盗を犯すという事実がある。それらの人たちには社会に復帰しても居場所が無いことが多い。再就職は厳しく、住むところの確保さえままならない。生活保護を受給するためのハードルも高い。受け入れる家族等がいなければ、即ホームレスにもなりかねない。

罪を犯し刑務所で服役した人たちに対する偏見も相まって、それらの人たちの社会復帰の壁は高くそびえ立っている。

 

忘れてならないは、刑に服している人たちの内高齢者や知的障害者精神障害者の占める割合が高いということだ。この事実を僕は知らなかった。

衆議院議員で秘書給料を流用した罪にかつて問われた山本譲司氏の著書『累犯障害者』に刑務所での実情が詳細に述べられている。また、堀江貴文氏の一連の刑務所実録物にもやはりその点についての言及がある。両氏とも刑務所では高齢者や障害者受刑者の介助を刑務所内作業として行っていた。刑務所が福祉施設の様相を呈しているという事実を述べている。

またNPO法人「ほっとポット」を主宰している藤田孝典氏のソーシャルワーク実践の記録を読んでも、やはり社会から見捨てられた刑期を終えた人々の姿が描かれている。

 

多くの再犯者はこの社会で生きていく術も居場所も無いがゆえに犯罪に手を染めるという。多くは窃盗や万引きなどのいわゆる軽犯罪だが、時として殺人や強盗などの凶悪犯罪に至るケースもある。

罪を犯して刑務所に入れば、食事と寝る場所が確保できる。そのためにわざと罪を犯して刑務所に入るという人たちも存在する。

どこか狂っている。

本来ならば、刑期を終えた人たちは罪を償ったのであるから、この社会で安息の場が与えられてしかるべきであろう。「普通」に人としての生活を営むことは高望みなのだろうか。

 

犯罪を、特に軽い犯罪を繰り返す人たちに必要なのは、司法による懲罰ではなく社会福祉的な支援なのである。社会での受け入れ体制がしっかりしていれば、かなりの数の犯罪を減らすことが出来る。

これは社会の安定にもつながるし、財政的な面でも良いことなのだ。

受刑者1人にかかる経費は年に300万円程度だという。一方生活保護の受給額は年に150万円(地域や家族数によって変わるが)程度である。

つまり、たとえ生活保護を支給したとしても、地域で生活をした方が刑務所に収容するより「安上がり」なのである。再犯を防止するための福祉的支援を充実させた方が財政的にも効率的だし、もちろん本人のためにもなる。

この視点が今の政策には決定的に欠けている。

福祉的な支援がなく、いきなり働けといっても、それは無茶な話である。

 

今、刑務所で起きていることは、この社会の縮図であり、近未来の姿を暗示している。

 

最後のセーフティネットが刑務所だというのは出来の悪いブラックユーモアだ。

しかしながら、一定数の人たちにとって安息の場が刑務所である、という事実に僕たちは目を背けてはならない。