希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

誇りを傷つける者に対しては断固として戦う件

僕は平和主義者である。

争いごとはイヤだし、誰かと争うような事態になると何とかして穏便に収めようとする。

自分の考えを他人に押し付けるようなことはすまいと心に決めている。自分の「正義」が本当に正しいものなのか、一歩引いて冷静に考える態度を常に保持していようと努めている。僕は心のどこかで「正義」ほど胡散臭いものはないと考えているからだ。

 

僕は(おそらく)他者からは温厚で寡黙な人間だと思われている。普段は自己主張することを控えている。僕が小心者だということもあるが、根が面倒くさがりであることによるところが大きい。人と争うのが面倒なのだ。不毛な消耗戦になることを忌避しているのである。

 

ただし、僕の誇りを傷付けるようなことについては話は別だ。僕の存在を全否定するような理不尽なこと、非合理なことについては徹底的に戦う。

以前にある専門学校で講師をしているときに、不当に雇い止めされたことがある。人事権者の恣意的な行為によるものだ。分かり易く言えば、人事権者が個人的な好みによって講師の入れ替えをしようとしたのだ。当時は他にも仕事の口があったので、辞めてしまえば済む話ではあった。僕の講師としての評価が低いのならば甘んじて受け入れた。しかし、実績も上げていたし学生の評価もそこそこ良かった。僕の誇りが傷付けられたのだ。

そこで僕はコミュニティ・ユニオンに加入し、学校側と団体交渉をして当該の人事権者を締め上げた。結果、解決金を僕に払うことと人事の公正化を約束して僕はその学校を円満退職することになった。

この戦いは表向きの「正義」は同僚の講師の地位を守ることだったが、本質は僕の誇りを傷付けた代償を払え、ということに尽きる。

 

僕はダメ人間であるし、いい加減な人間である。しかし、誇りだけは常に持ち続けようと思っている。ここで言う「誇り」とは高学歴であるとか、一流といわれる会社に勤めていたとか、そんな類のものではない。人として譲れないモノ、譲れない一線を持っているということである。

戦うべきときは戦うという気概を持ち、矜持を持つということである。

 

時としてこの「誇り」は世間との軋轢を生じることがある。不利益を被ることもある。他者に理解されないこともある。

しかしながら、僕は「誇り」を捨ててまでも世間に阿る生き方はしたくない。自分の誇りを持たぬ者は他者から信用されないとも思っている。

 

僕は僕の誇りを決して失わない。

たとえ、「敵」が増えようとも。

世間から排除されようとも。

 

僕は僕の「誇り」を終生大切に抱えながら生きていく。