希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

本当に「意識が高い人」とは、という件〈再掲〉

本当の意味で意識が高い人は社会的地位や肩書等に関係なく、無名の市井に生きる人たちの中にいる。僕はそういう人たちに出会うと素直に感動する。

 

初出 2014/4/22

 

僕は意識が低い人間だとの自覚がある。

仕事を通しての成長や自己実現は僕には不要で関係がないものだと思っている。仕事は生活費を稼ぐための手段に過ぎないと考えている。

意識が低くて仕事に対する意欲もあまりないが、そこそこ楽しい生活を送れている。

 

僕はこのブログで自称「意識が高い人」を批判し揶揄したりもしているが、それは本当に「意識が高い人」ではないとみなしているからだ。

己の優秀さを誇示しようとしたり(こんな人たちは実は優秀ではない)、他者とは自分は次元の違う世界にいると勘違いしている人たちをイタい人たちだと醒めた目で見ているわけである。

また、この手の「意識の高い人」たちは、いかに会社内で出世できるか、給料を多く得られるか、他者からすごい人と見られたいか等の矮小な目的に終始し、本来の意味での成長したあるいは成熟した人間像からかけ離れたものになっているような気がしてならない。私利私欲に塗れた利己主義だともいえるかもしれない。

 

良い意味で本当に「意識の高い人」は多くいる。決して世間では目立たない人たちも沢山いる。

自分は社会の一員であると自覚し、より良い社会を築き上げるために思考し、実際に行動している人たちがいる。地道にしかし着実に成果を上げている、多くは無名の人たちだ。

メディアに取り上げられないし、仮に取り上げられたとしても決して舞い上がらず傲慢にならない。

これらの人たちは自分が意識が高いとは口にしないし、また自分が特別意識が高い人間だとも思っていない。

 

僕が関心を持っているジャンルで言うと、貧困や引きこもり、ニート非正規雇用の労働問題等に携わる大多数の人たちは一人でも多くの疎外された人々を助けるために地道な活動を続けている。金銭的に報われることもなく、時には心無い中傷や批判にも晒される。

前記のような社会活動に限らず、例えば伝統工芸の復活に全精力を傾けている人、地域コミュニティの活性化に注力している人、難病の研究をしている人(限られた予算で)等も見返りを度外視して己の使命を全うしようとしている。社会的起業もそうだし、一般の企業活動においても真に消費者の利便性を高める商品やサービスの開発に注力している人たちもそうである。

 

本当に「意識の高い人」とは、金銭欲や名誉欲にとらわれずに、自分の使命を自覚し、その使命を全うすることにためらいがない人たちだといえる。

私益よりも公益を重視し、自分の社会的役割を果たすことに価値を置く人たちだとも言えよう。

僕はこの意味での意識が高い人になりたいと思っている。