希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

他人の評価が本当の自分なのかという件

僕がまだ競争に明け暮れていた頃、ある著書の「自分の評価はすべて他者の評価によって決まる」という内容を受け入れて、その考え方に染まっていたことがある。

自分が自分で評価した自己像を排除して、あくまで他者が作り上げた自己像に依拠すべきだと考えていたのである。

この考え方は結果として、自分が何者かが分からなくなり、またあまりにも他者の目を気にしすぎるようになって息苦しくなってしまった。

確かに自分で自分を評価すると甘くなりがちである。過大評価になりがちである。

一方、自己評価が異常に低い人たちも存在する。こちらはこちらで問題がある。

 

確かに他者からの評価を通して、自分の現在の実社会での立ち位置を把握する指針とすることはできる。

しかし、他者からの評価を気にしすぎると、身動きが取れなくなるおそれがある。ただでさえ、この社会では他人の目や世間を気にしすぎる傾向がある。自分というものを持ち、自分の信念を貫くような生き方はなかなかやりづらい社会でもある。強固な自我を持つ人たちは、その多くは世間から弾かれてしまう。

 

突き詰めて考えると、そもそも他者の評価が正しいとは限らない。主観や好き嫌い、相性などが入り込む可能性が高く、客観的で適正な評価がなされているとはとても思えない。せいぜい他者からは「そのように見える」という程度のものだ。

人はある場面の断面を切り取って、自分の価値判断に従って他者を評価しているに過ぎない。そこには何らかのバイアスがかかっている。

つまるところ、真の自己像など本当は存在しないのかもしれない。

 

人の評価は時と場合によって常に変化する。一定の評価があったとしても、何らかの出来事によってその評価は良くなったり悪くなったりする。

あるいはAという人からの評価は高いがBという人からの評価は低かったりする。評価する人によってその内容がバラバラなんてことはざらにある。

 

要するに自己評価も他者評価もあてにはならないということだ。

 

僕は自己評価を重視すべきだと思っている。たとえ自分に甘くても、一番長く自分と付き合っているのは自分自身だからだ。少しぐらいならナルシストになってもよいと思う。他者からの評価を気にしすぎるよりも、余程健全であり精神衛生上も良いことである。他者からの評価は参考程度に考えて、一部を取り入れるくらいにしてやり過ごす態度を取った方が賢明だと思う。

 

僕が自分に与えている評価は、一言でいえばダメ人間である。他方で少しは見所があるとも思っている。

僕は他者からはどのような評価を受けても、それらを受け流して、ダメ人間なりに真摯に生きていくと心に決めている。