希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

現代の「身分制度」をなくせという件

この国は身分制の社会ではない。

建前としては人は皆平等だというイデオロギーが浸透している。職業選択の自由が保障され、居住地を自由に選べる。身分制の社会では職業選択の自由はなく居住地も制限されていた。

 

今のこの社会で「身分制度」とでも呼べるものがある。正社員と非正規雇用の間に存在する格差である。収入はもちろん、社会保険制度の適用や雇用形態の安定度など両者の間には大きな溝がある。

同じレベルの仕事をしていても、正社員と非正規雇用の人たちとでは大きな賃金格差と待遇における差別がある。

正社員は解雇規制が強くてその地位が保障されるが、非正規雇用の社員は正社員と比較して解雇がしやすくその地位は不安定である。

 

元来身分とは「生まれ」によって決まるものだ。現在の社会ではもちろん生まれによる身分を否定している。とすれば、正社員と非正規雇用は身分ではない。しかしながら、実態として身分制と同じような性質を持っている。

経済的に恵まれない親の子弟は非正規雇用フリーターになりやすいというデータがある。総じて学歴が低いという指摘もある。つまり、親の属性がそのまま子どもに伝わってしまうことになる。この状態を放置するとこの社会は身分制社会や階級社会になりかねない。

マスコミでよく取り上げられるのは、高学歴フリーターや高学歴ワーキングプアである。大学や大学院を出ても安定した雇用は保障されていないと言いたいのだろう。しかし、フリーター非正規雇用において彼らは少数派である。ただマスコミが大衆受けやインパクトの大きさを狙って取り上げているに過ぎない。貧困層の子弟がフリーター非正規雇用になっても「当たり前」とみなされていて、ニュースバリューがないし、商売にならないと踏んでいるだけである。

 

正社員と非正規雇用の格差は本人の能力や努力の結果であるから問題視することはない、という言説がよくなされる。そういった側面があることは否定できないし一理ある。しかし、その時々の雇用情勢の良し悪しで非正規雇用の仕事に就かざるを得なかった人たちが多く存在していることを忘れてはならない。また、正社員の劣悪な労働条件を嫌っている人たちも多い。

生き方や働き方の多様性を認めないこの社会の硬直したシステムにも問題がある。

 

非正規雇用の人たちを正社員よりも下位に置き、劣悪な処遇をするのに合理的な理由はない。正社員と非正規雇用の社員とを特別に区別しない国々もある。

僕は「同一価値労働同一賃金」の考え方を取り入れる時期にきていると思う。現実問題として正社員のパイを増やすことは困難である。ならば、正社員と非正規雇用の間にある壁を取り除く方策を採ることがベターな方法だと考える。

 

不合理な身分制もどきのシステムは早急に壊さなければならない。

社会の活力が削がれるし、何よりひとりひとりの生活が豊かで安心のできるものにはならない。

 

生き方や働き方に様々なオプションがある方が絶対に生きやすいし面白いはずだ。