希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「ごくつぶし」がいてもよい(カネがあったら働かなくてもいい)件

僕は何度もこのブログで述べているが、この国は労働至上主義に傾きすぎている。勤勉は美徳、労働は尊いものだというイデオロギーが蔓延している。

例えば遺産相続でそれなりの資産が手元にあり、働かずにそれを食い潰しているような人にジェラシーを感じ、そのような生き方を非難したりする。まるで働かない者、怠惰なものは人でなしとでも言いたげに。

若くして経済的な成功を収め、若くしてリタイアしたような人に対しても決して良い感情を抱かない。

生き方や働き方は人それぞれで自由であるはずなのに、自分の凝り固まった価値観をもってそれから逸脱した人たちを認めようとはしない。

 

十分に余裕のある生活を営むだけのカネがあれば、別に働かなくてもいいのではないかと僕は思う。ただ働くのが好きでたまらないような人たちは別ではあるが。

カネ・資産が豊富にある人たちが懸命に働き続けるとさらに資産が増えてしまい、格差が拡大する。人の欲望は限りがない。その欲望を資産構築にではなく、消費に仕向けるようにすれば格差縮小、内需拡大の一挙両得となる(ただしカネ持ちに限る)。カネ持ちにはじゃんじゃんカネを使わすように持っていくのだ。どうせカネなんてものはあの世には持っていけないのだから。

識者の中には相続税を100%課税せよ、という極端な論を唱える人がいるが、僕は賛同できない。相続「税」として税金を徴収しても、どうせロクなことには使わないのは目に見えている。やはりカネを持っている本人が湯水のように使わないと面白くない。

 

そこで僕の提案がある。

「ごくつぶし」と言われる人たちの再評価だ。

親から引き継いだ財産を自分一代で使い切る。資産を構築した親自身は結構質素な生活をしていたりする。それでは資産は減らないし、カネが社会に還元されない。

そこで「バカ息子・娘」の出番となる。

苦労もせずに手にしたカネでもカネであることには変わりはない。どんどん使えばよい。働こうなんて考えてはいけない。ましてや資産を維持したり、増やそうと考えたりするのはもってのほかだ。非国民だ。「ごくつぶし」はカネを使うことによって社会貢献するのである。「ごくつぶし」という言い方が悪ければ、夏目漱石の作品に出てくる「高等遊民」という言い方を復活させればよい。

 

僕は「高等遊民」的な生き方に憧れを抱いている。もし、遊んで暮らせるだけのカネが手元にあれば、僕は間違いなく「ごくつぶし」になっていただろう。幸か不幸か僕の親はカネに淡白で僕に財産らしきものを殆ど残さなかったので、仕方なく働いている。

 

「ごくつぶし」「高等遊民」的な生き方をしても、世間から後ろ指を指されなくなれば、どんなに生きやすくなるだろう。

ニートや引きこもりの人たちに対する眼差しも変わるかもしれない。

 

馬車馬のように働き続ける人生を、イヤだなあと感じるのを異端者扱いされる社会なんて真っ平ゴメンだ。

「ごくつぶし」がこの社会に増殖することを切に望む。