希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

会社員は会社の奴隷ではないという件〈改題・再掲〉

この国の労働者は、特に正社員は会社に異常なほどのコミットメントを求められている。それは労働「契約」を超えた主従関係や奴隷かのごとくである。

 

初出 2014/2/13

 

僕はこのブログで会社員は経営者との間の労働「契約」に基づいて働いているのであって、契約内容を履行すればそれで十分だと何度も述べてきた。

例えば残業は契約に定められた勤務時間以外の時間を働かせるのだから、経営者の明白な契約不履行になる。法律違反であると同時に契約違反でもあるのだ。

わが国では経営者側だけでなく労働者側も契約意識が薄すぎる。このことがサービス残業が蔓延する要因になっている。

 

現実問題として、社員は(特に正社員は)会社に強くコミットメントすることを求められる。これは日本の会社に特有なものなのかは分からないが、信頼できると思われる著書によると欧米諸国では会社と社員の関係はドライだと言われている。

 

日本の会社では、酷いケースだとプライベートの時間まで会社に拘束される。

社長や上司の引越しに借り出されたなんて類の話は僕も実際に聞いたことがある。

休日や帰宅後に大した要件でもないのに会社に呼び出されることも多い。

結婚式の仲人が上司なんて最悪だ(あくまで僕の個人的意見)。

 

なぜ日本の会社員が「社畜」的になるのかは様々な理由が考えられる。

 

多くの会社が「家族主義」的な経営を標榜していたことも大きな理由だろう。

少し考えてみるとこれは変な話だ。

会社は商品やサービスを生み出して利益を出すために人が集まり、役割を分担してその目的を遂行するために存在する。社員同士の関係や経営者と社員の関係は利益を出すという目的達成のために繋がった仮初のものだといえる。

そこに家族と言う集団の性質を持ち込めばおかしなことになる。

例えば、家族間では家族ならではの甘えや非合理的な行為が頻発する。具体的にいえば「このくらいの無理は聞いてくれるだろう」という甘えが生じ、エスカレートすると「このくらいの無理は聞いて当然だ」となる。

この心理が会社内で働くと、過密労働や長時間労働、パワハラ等につながるのだと思う。

 

そして、やはり会社員の立場がさらに弱くなったことが過剰なコミットメントを強いられる原因だと考えられる。

会社や上司からの無茶な要求も受け入れないと、会社にいられなくなると社員は思い込んでいる。もし、会社を辞めて転職するにしても、今の待遇は保障されないと思っている。最悪の場合、転職先が見つからないのでは、とさえ思っている。

このような心理状態に追い詰められている会社員は結構多いのではないだろうか。

 

僕はある程度の会社へのコミットメントは必要だとは思う。特に根幹的立場にある正社員に対しては、会社側がコミットメントを求めるのは妥当だと思う。ただし、それにも限度がある。会社員は会社の奴隷ではない。

酷い会社だと非正規社員にもコミットメントを求めることがある。特に外食産業や福祉介護業界等ではパートやアルバイトも重要な戦力なので、会社によっては正社員並のコミットメントを強いることがある。待遇は低い水準のままで、働きは正社員レベルのものを求めるのは経営者の厚顔無恥以外の何物でもないと僕は思っている。これらの業界にブラック企業が多いのも頷ける。

 

会社員の劣悪な労働条件も大問題だが、この過剰な会社へのコミットメントも同様に問題である。

 

根本的な解決策は僕には分からない。

 

でも、僕なりの考えを最後に述べてみよう。

 

正社員は簡単にはクビにならないことを常に頭に入れておこう。会社や上司からの理不尽な要求を拒否したくらいではクビにならない。左遷されることはあるかもしれないが、そのくらいの覚悟は必要だ。もし、不当に解雇されたら戦う用意と覚悟をしておくことだ。

休日やプライベートの時間にかかってきた電話は無視する。もし、逼迫した要件ならば留守番電話に伝言が残るはず。

転職を怖れることはない。また、転職がうまくいかなくても人生何とかなる、というくらいの気持ちの余裕を持っておくことだ。

実際、何とかなる。

僕の経験からも断言できる。

ただし、ちょっとビンボー生活になるかもしれないけど。

 

仕事は人生のほんの一部分に過ぎない。

仕事に、あるいは会社に人生の比重を置く生き方が自分にとって心地好いものなのか、改めて人生観を問い直すことも必要である。