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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

勤勉が美徳という価値観は絶対的に正しいのかという件〈再掲〉

多くの日本人が自分たちは勤勉であり、それが正しいことだと思い込んでいる。勤勉が褒め言葉だとは限らない。クソ真面目に、勤勉に生きることで失うものも多くあると思う。

 

初出 2014/2/4

 

日本人は勤勉だという言説が広く流布されている。

明治維新後に急速に近代国家になったのも、敗戦後の復興から高度経済成長を経て経済大国になったのも、国民が勤勉だったからだという。

この言説は概ね正しい。

働き蜂とかワーカーホリックと欧米諸国から揶揄されようとも、日本人は働きに働いたことも事実である。ただ、真の豊かさを手に入れたかというと甚だ疑問である。

 

僕たち日本人は元々勤勉な民族性だったと思い込んでいるだけかもしれない。

 

江戸時代の町人は多くはその日暮しだったという。商人は別としても、職人は当座のカネを稼げば働かなかったというし、当時は既に現在の派遣労働的なものが社会に広がっていた(仕事の斡旋をする業者は口入屋と呼ばれていた)。

武士にしても当時の資料によれば、出仕するのは10時から午後2時の間で4時間労働だったらしい。

農民は仕事の性質上殆ど休みなしに働いていたが、これは勤勉だからというよりも、仕方なくといった方がよい。現に農村から都市部への人の流入が常に社会問題となっていたことから、当時の農民は町人の「自由」な生き方に憧れを抱いていたことは否定できない。

 

乱暴な言い方になるが、当時の武士や農民が現在の正社員的なものであり、自由な町人はフリーター非正規社員的なものだった。

 

「勤勉」が美徳とされたのは、明治維新後である。近代国家・資本主義体制へとスムーズに移行するためには、国民が勤勉でなければならない。従順でサボらない労働者が必要不可欠の存在となったのだ。

戦後の復興・高度経済成長期には、プライベートより仕事を優先した企業戦士(社畜ともいう)がスタンダードになった。

「勤勉」神話が確立される。

エスタブリッシュメントが強いた価値観(エスタブリッシュメントにとって都合の良い)に殆どの人たちが乗せられてしまった、というのが真相だと僕は思っている。

 

僕は日本人が芯から勤勉な民族であるということを疑っている。

今の仕事を心の底から続けたいと思っている人はどれだけいるのだろう。

勤勉でいなければならないという、強迫観念に縛られた人たちが結構多くいると思う。

 

日本人が勤勉だというのは、歴史上ごく短い最近の話であって、またそれは幻想に過ぎないのではないだろうか。

しかもその勤勉という価値観は為政者によって意図的に作られたものであって、支配された人たちは勤勉なのは自分たちの特質だと思い込んでいる。

 

江戸時代の町人は貧乏な生活をしていた人たちが多かった。その暮らしぶりを憐れだと見るのは間違いであり、現代人の傲慢である。

もしかすると、現代人よりも豊かで楽しく日々の生活を営んでいたかもしれない。

 

僕は「勤勉」という価値観を否定しているわけではない。勤勉な人たちが多くいてこそ、社会は発展し豊かになる。

 

ただ、勤勉が美徳という価値観に疑問を持ち、馴染めない僕のようなダメ人間もいる。

 

こんな僕みたいなダメ人間は、その日暮らしを謳歌することで、ささやかな抵抗をしている。